SynBioポータル

合成生物学(Synthetic Biology)のポータルサイトです

新たな産業革命の中核となる「合成生物学」の最新情報、有用性、可能性、振興策、安全性について、社会との関係も含め議論していきます。

バックナンバー2024年3月

麹菌の合成生物学ツールキット
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ニホンコウジカビ (Aspergillus oryzae) は、真菌類であるコウジカビ属の有性生殖をしない不完全菌です。麹菌の一つとして、醤油、味噌、日本酒、焼酎などを作るために使われており、2006年の日本醸造学会大会では日本の「国菌(national fungus)」とされました。デンプン分解やタンパク質分解に優れており、ニホンコウジカビが作るデンプン分解酵素・ジアスターゼ(アミラーゼの別名)は、高峰譲吉が医薬品タカジアスターゼとしたことでも知られています。 真菌を使った食品の生産は、大きな商業的な可能性を秘めた分野であり、現在、ヨーロッパ、米国、アジアで入手できる真菌を使った肉や乳製品の代替品の数が増えています。そのようなことから、このような真菌を扱うための合成生物学的なツールの重要性が高まっています。セルラーゼを大量に生産するために、バイオマス完全分解といった工業的に利用されてきた真菌Trichoderma reeseiは、そのようなツールが開発され、卵白および乳タンパク質の生産が可能になっているそうです。ところが、このような工業用の真菌は食品としての歴史がないため、様々な課題があります。そこで、注目されるのが、ニホンコウジカビ (A. oryzae)です。
 
 

バックナンバー2024年2月

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くせになる独特の風味と香りのブルーチーズに生えた青緑色のカビに抵抗感のある方もおられるかもしれません。 ロックフォールチーズ(Roquefort)はもともとフランスのブルーチーズということですが、アオカビ属(ペニシリウム属)のPenicillium roquefortiは、世界中でブルーチーズの製造に使用されている真菌です。ブルーチーズは、この真菌の増殖によって形成される色素胞子によって青緑色になっています。 1月8日のnpj Science of Food誌に、英国ノッティンガム大学のチームがこの色が生じる生合成経路を解明し、風味そのままの白いチーズを作ることに成功しています。 Cleere, M.M. et al. (2024) New colours for old in the blue-cheese fungus Penicillium roqueforti. npj Sci Food 8, 3. https://doi.org/10.1038/s41538-023-00244-9
 
【日曜コラム】研究評価に関するDORA(ドーラ)って何?
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研究評価とは、研究活動や研究成果に対して何らかの判断を行う行為全般を指します。大学や研究機関といったアカデミアでの研究評価は、研究者の採用・昇進・助成等に関わります。 しかし、最終的には、例えば「どういう研究成果を教科書に載せるか?」「社会に役立つ研究成果とみなすか?」「どんな事業を行うスタートアップ企業に投資するのか?」「どういう研究成果に関係した株を買うのか?」など教育、企業経営、経済にも関わる問題であると思います。 しっかりと評価された科学研究成果に基づく事業なら、確実な結果が期待されるでしょう。一方、評価がいい加減であれば、はったりや詐欺のはびこる世界に足を踏み込むことになってしまいます。日本のバイオ系の場合、しっかりとした科学的な評価に基づかないスタートアップが多いように感じます。日本のバイオ系が弱いのは、的確な評価のできる人材や目利き人材が少ないからではないかと個人的には思っています。ブランド、権威、話だけはうまい人といった印象に頼らず、科学評価力のある人材を大切にし、洗練された科学評価力を鍛えていく必要があります。
 
RNA編集アップデート
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この1週間ほど、RNA編集の臨床利用についてのニュース解説をいくつか見かけましたので、まとめておきたいと思います。RNA編集に基づく少なくとも3つの治療法が臨床試験に入ったか、その承認を取得し、本格的に動き始めているという話題です。 📌RNA編集とDNA編集(ゲノム編集)の違い RNA編集(RNA editing)は、出来上がったmRNAや転写中mRNAの塩基配列を置換、挿入、削除といった生物現象、あるいは人工的に行う操作のことをいいます。 RNA編集とDNA編集の両方ともタンパク質の構造または量を変更したいという点で同じ目的で利用することができます。 RNA編集の特徴は一時的に働くようにできることです。DNA編集は遺伝子を不可逆的に変更してしまいますし、遺伝子にオフターゲット効果を引き起こす可能性があります。一方、RNA編集は、細胞の設計図そのものを書き換えるのではなく、細胞が絶えず作っている新しいmRNAを標的にしているため、それに対する効果のみです。これにより、DNA編集よりも安全な選択肢となる可能性があります。一方で、RNA編集で持続的に効果を出すためには、導入するRNAエディターの量を増やしたり、寿命を延ばす必要があります。これは、不可逆的に染色体レベルで変更するDNA編集のall or noneとなる遺伝学的な効果とは対象的です。
 
進化する人類:チベットとアンデスの人々の高地順応遺伝子
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地理的には離れながら、同じように高地に住むチベットとアンデスの多くの民族(以下、チベット人、アンデス人と呼びます)は、高地での酸素レベルの低下による低酸素条件に耐えられるようになっています。 数多くのゲノム比較研究により、多くの候補遺伝子がヒトの高地順応に関係していることが示唆されています。とりわけ、低酸素に対する細胞応答のマスター転写調節因子である低酸素誘導因子 (HIF) に関係したパスウェイの遺伝子が重要です。 HIF-2のαサブユニットをコードするEndothelial PAS domain protein 1(EPAS1) は、チベット人およびチベット犬といった高地に適応した動物で多型が見られる遺伝子です。チベット人に見られるEPAS1遺伝子の変異は、EPAS1タンパク質のアミノ酸配列の変異ではなく、遺伝子発現の制御に関わるものであるとされます。これは、チベット人の比較的低いヘマトクリット値(赤血球の全容積が全血液中に占める割合、つまり血液の「濃さ」)、および間接的または直接的に適応表現型 (過剰な赤血球増加症からの保護)に関連しています。このチベット人の変異は、絶滅した旧人類であるデニソワ人から受け継いだものと考えられています。
 
ウイルスとウイロイドの間に位置づけられる「オベリスク」とは?
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オベリスク(Obelisk)は、もともと古代エジプトで製作され神殿などに立てられた方尖塔です。米国でもボストンのバンカーヒルやワシントンDCのモールにそのような棒のような建物が立っています。 1月21日にスタンフォード大学を中心とするチームが、棒状の形状に自己組織化する1000塩基ほどのRNAからなる断片が、ヒトの口や腸の中に大量に潜んでいることを査読前のプレプリントとしてbioRxivに掲示して、あちこちで話題になっています。この実体は「オベリスク」と名付けられました。 ウイロイドは独自の複製ポリメラーゼを持たずタンパク質もコードしないcccRNA(covalently closed circular RNA)で、これまで植物で約50種が見つかってきました(下記の(注1)参考)。一方、ヒトのD型肝炎ウイルス (HDV)も、「デルタ抗原」というタンパク質をコードするものの、独自の複製ポリメラーゼは持たず、自分では複製できないことから、従来の典型的なウイルスとは異なるcccRNAをゲノムとするRibozyviriaとしてウイロイド様エレメントとされてきました(下記の(注2)参考)。その塩基数は、ウイロイド、約350ヌクレオチド、HDVが約1700ヌクレオチドです。このことから、動物にもウイロイドや、従来のウイロイド/HDVと類似性のない新たなウイロイド様エレメントが更に存在するのではないか、と推定されてきました。
 
【日曜コラム】危険なデザイナータンパク質の安全管理
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ウイルスには致死的な病気を引き起こす危険なものがありますが、生物が作るタンパク質そのものにも致死的な「毒」性のあるものがあります。例えば、多くのヘビ毒、サソリ毒、クラゲ毒、植物由来のリシン、ボツリヌス毒素や破傷風毒素のような細菌毒はタンパク質です。アミノ酸配列からできているので、DNA合成で配列を合成し、タンパク質を適切に合成させたり、必要ならば切断したりすることなどで調製することは可能です。核爆弾のようなものと違って、大掛かりな施設や装置も必要なく、密かにできてしまうところが怖いところです。 更には、既存の毒を参考にしたり、あるいは全くゼロから、新しい「毒」タンパク質をデザインすることも可能なはずです。特に人工知能を使って、きちんと折りたたみができるようなタンパク質が自由に作製することができるようになってくると、漠然とではありますが、とんでもないものが作れてしまいそうな危うさを感じます。既に、ProtGPT2というような生成AIによるタンパク質デザインAIも開発されており、この分野は生成AIと同じように進展が速いです。生成AIで画像を作るような感じで、タンパク質をデザインするというわけです。2月1日刊行のCell誌は、構造生物学についての総説を掲載しており、そのなかでは最近の状況が説明されています。
 

バックナンバー2024年1月

 
アルツハイマー病の原因はまだ完全には解明されていません。しかし、長い期間をかけて脳の中で生じる、複雑な一連の事象によって発症することが明らかになってきており、遺伝、環境および生活習慣などの複数の因子が絡み合って発症すると考えられています。一般的には、アルツハイマー病全体の9割に相当し高齢者に発症する「遅発性散発性」と、若年(65歳以前)に発症する「早期発症型」、特にその一部で遺伝要因が考えられてきた「家族性」のものがあります。 1月29日、英国のユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのチームが、幼児期にヒト死体下垂体由来の成長ホルモン(cadaveric pituitary-derived growth hormone)を投与されたことのある若年性認知症の一部の患者にアルツハイマー病の特徴であるアミロイドベータ斑が脳内で観察されたことをNature Medicine誌に正式に報告しています。
 
ヘビ毒の中和抗体が逆に毒性を強めてしまう
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WHOの推定によれば、ヘビには年間540万人が咬まれ、その死者は8万人–13.8万人とされており、手や足の切断などの回復できない身体障害を残す人は、その約3倍に達すると言われます。2018年には、ヘビ咬傷はWHOの顧みられない熱帯病(Neglected tropical diseases、NTDs)に指定されています。 世界にいる3000種ほどのヘビのうち、ヒトに対し危険なヘビは約15%とされています。これらのヘビは、毒牙を持っており、咬んで毒液を注入します。ヘビ毒はタンパク質を主とした複雑な混合物で、多くの生理学的受容体に結合することで、ヒトにさまざまな症状を引き起こします。 毒ヘビに咬まれた場合、品質の高いヘビ抗毒素(抗血清)が有効な治療法となります。しかし、これは、ウマなどの大型動物にヘビ毒のタンパク質を少量注射することを繰り返して抗体を作らせるという、100年以上前と同じような方法で作製されているのです。更に、動物の免疫に使う多様なヘビの毒液の入手が困難であり、需要も低いことから、世界的な不足が課題になっています。このような背景から、ヘビ毒に代わる人工抗原や、毒素を中和する遺伝子組換え人工抗体などの開発が行われています。
 
 

バックナンバー2023年12月

 
2023年の通常記事は今年最後ということで、2023年の合成生物学の概況を手軽に知ることができる最新の記事2つを紹介したいと思います。英文ですが、短い文章で、合成生物学の概況を知ることができます。 🔴大きな問題と小さな解決策: 合成生物学がより強い未来を築く方法 最初のForbesの記事は、IDTというDNA合成大手企業の社長であるDemaris Mills氏が書いている文章です。 🔴合成生物学: 自然のツール、再設計 こちらのTechnologynetworksの記事は、Kerry Taylor-Smith氏というサイエンスライターが書いている文章です。 この文章は、邦訳もされている「合成生物学」(ニュートン出版)の著者である Jamie A Davies氏へのインタビューが主なものになっています。植物の部分は、Alister Mccormick氏の話が掲載されています。
 
自然保護活動とゲノム編集(その2)モモイロハト
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ドードー (Raphus cucullatus、モーリシャスドードー、Dodo) は、モーリシャス島に生息していた絶滅した鳥です。 Colossal社によると、ドードーの全ゲノムは主任遺伝学者であるBeth Shapiroによって配列決定されています。さらにColossal社は、モーリシャスに近いロドリゲス島に生息するドードーの絶滅した近縁種であるロドリゲスドードー(Pezophaps solitaria、別名、ソリティア、Rodrigues solitaire)と、ドードーに最も近い現存する近縁種であるミノバト(Caloenas nicobarica、別名、ニコバルバト、Nicobar pigeon)のゲノム配列を解読したとしています。その詳細は公開されていないようですが、ゲノム配列の決定は日常的な方法になっています。 これまでの結果から、ドードーRaphus cucullatus、ロドリゲスドードーPezophaps solitaria、ミノバトCaloenas nicobaricaの3種の関係はハトの仲間のなかでこのように位置づけられるとのことです(真ん中の青いフォントの部分)。 ちなみに、伝書鳩など街で日常的に見かけるのは、カワラバト(Columba livia)です。モーリシャスでは、Columbaに近い体高約15インチの草食のモモイロハト(Nesoenas Mayeri)が、生息地の悪化、病気、近親交配により絶滅の危機に瀕しており、約500羽しか残っていないといいます。
 

バックナンバー2023年11月

 
世界3大感染症マラリアHIV結核)の中でも最も多い世界のマラリア患者数は年間2億4,700万人(2021年)と推定され、毎年60万人以上の死亡者をだしています。そのほとんどは、アフリカのサハラ以南の幼い子供たちです。特に、マラリア原虫が抗マラリア薬などの医療介入に対する耐性を急速に進化させている現状が問題になっています。 ゲノムの監視 (寄生虫DNAの変化を継続的に監視) は、寄生虫の薬剤耐性の背景の理解に極めて重要です。 これまで、このような監視は、マラリアが流行していない先進国の研究所で行われてきました。11月23日のNature Microbiology誌に、英国のサンガー研究所、アフリカのガーナ大学のチームが、現地のポケットサイズのDNA シーケンサーを用いて、ガーナのマラリア薬剤耐性をリアルタイムで追跡できることを報告しています[1]。
 
タンパク質配列データベースからCRISPRを掘り出す
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生物が持つ生化学はきわめて多様であり、その膨大な配列データから意味ある配列を探し出すことは、合成生物学の発展のために重要です。 ブロード研究所のFeng Zhangのチームが、FLSHclustと名付けたアルゴリズムを開発し、炭鉱、ビール醸造所、南極の湖、犬の唾液などで見つかるさまざまな細菌からのデータを含む公開データベースをマイニングしました。その結果、80億のタンパク質と1,020 万のCRISPRアレイを含む 8.8 テラbpのメタゲノムデータベースの中から核酸編集技術であるCRISPRに関連すると考えられる188程度の新しいシステムを発見し、11月23日発行のScience誌で報告しています[1]。 Altae-Tran H. (2023) Uncovering the functional diversity of rare CRISPR-Cas systems with deep terascale clustering. Science. 382:eadi1910. doi: 10.1126/science.adi1910. 一般的に使用されているアルゴリズムによるアプローチは、数十億のタンパク質を含む指数関数的に増加するデータセットのマイニングには非現実的になってきています。 この課題に対処するために、この論文では、配列類似性によってタンパク質をクラスタリングするアルゴリズムであるFLSHclust(fast locality-sensitive hashing-based clustering)を開発しました。このアルゴリズムは、これまでの方法とは異なり、膨大なタンパク質配列データベースを迅速かつ効率的に分析できます。
 
【日曜コラム】サム・アルトマンと合成生物学、次世代型生成AI
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生成AIで人類の脅威となるような生物兵器が製造されるリスクというのは、生成AIの安全性を議論するとき、しばしば語られる例となっています。今週のサム・アルトマン解任騒動でも、こういうことに対する認識をめぐる確執というのが指摘されています。 📌サム・アルトマンと合成生物学 ところで、サム・アルトマン氏も合成生物学に高い関心を持っています。彼は、核エネルギーと合成生物学を学んだ、学んでいると、あちこちで語っています。また、合成生物学への投資にも熱心であるようです。 He learned about nuclear engineering, synthetic biology, investing and AI.(彼は原子力工学、合成生物学、投資、AIについて学んだ。) I think that synthetic biology should be a revolution in terms of how a lot of things get made at massive scale.(合成生物学は、様々なものが大規模に作られるという点で、革命になるはずだと思う。) 📌Q StarとGeminiが合成生物学を変える? OpenAIが進めるQ*(キュー・スター)というAGI(汎用人工知能)を目指すプロジェクト。その数学的なブレイクスルーが、人類に脅威を与えるとして、今回のアルトマン解任騒動のきっかけになったともされています。
 
猫のコミュニケーションと細菌
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多くの動物は化学物質を用いてコミュニケーションをとっています。これらの化学物質には、糞、尿、唾液、腺分泌物に含まれる揮発性の有機化合物(VOC)があります。親族の認識、縄張り防衛、繁殖の宣伝に役立つほか、捕食者の阻止や寄生虫の蔓延を軽減することさえあります。特に腺分泌物は、個体識別、年齢、性別、生殖状態、社会的地位、社会集団に関する情報を持っています。 哺乳類は、VOCを結合または合成できるタンパク質を持っています。しかし、実際には揮発性物質のほとんどは、臭腺に存在する細菌によって産生されていると考えられているようです。 哺乳類の臭気の主な成分は、アルデヒド、アミド、アルカン、アルコール、炭化水素、脂肪酸、エステル、ケトン、フェノール、スクアレン、ステロイドです。 細菌に関しては、飼いイヌの肛門腺には、主にEnterococcus、Bacteroides、Proteusが含まれています。 ジャイアントパンダの肛門生殖腺には、Corynebacterium、Pseudomonas、Porphyromonas、Psychrobacter、Anaerococcusが見られます。 飼いネコの肛門腺の主な臭気化合物は、酢酸、プロパン酸、2-メチルプロパン酸、ブタン酸、3-メチルブタン酸、ペンタン酸などの短鎖遊離脂肪酸です。 これらはヒトの鼻ではほとんど感知されませんが、ネコの行動や社会生活において重要です。ネコは縄張りをマークし、仲間を引き付け、ライバルを撃退します。 カリフォルニア大学デービス校のチームが、DNA配列決定、質量分析、微生物培養を利用することで、飼いネコの肛門腺分泌物のVOCとそれを作る微生物を調べ、11月8日に報告しています。
 
悪玉コレステロールを下げる塩基エディター
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今週は、Verve Therapeutics (NASDAQ: VERV)が、フィラデルフィアで開催された米国心臓協会で、英国とニュージーランドで実施された第1b相試験の中間結果である調査結果を報告したところ、株の売りが殺到し、株価が40%近く急落したことが話題になっています。 Verve Therapeuticsは、2018年、ボストンで設立された企業で、心血管疾患治療への新たなアプローチ、つまりゲノム編集医薬品を開発しています。心血管疾患治療、ヒト遺伝学、遺伝子編集、デリバリー技術、医薬品開発、商業化の各分野に精通した専門家を集めています。 この会社が利用しているCRISPR-Cas9機構を用いた塩基エディターは、従来のゲノム編集アプローチのようにDNAの2本鎖を破壊することなく、遺伝子を非常に正確に「編集」します (単一ヌクレオチド塩基を化学的に変更します)。 この塩基エディターの技術は、2018年に、ハーバード大学のDavid Liuのチームによって開発されたものです。 Verve Therapeuticsが実施しているのは、この塩基編集に関わるRNAを脂質ナノ粒子(LNP)に入れて、肝臓の細胞に取り込ませ、肝細胞がPCSK9タンパク質を作らなくするというアプローチです。これは、新型コロナワクチンでも利用されているLNP、RNAを使った方法と類似したものです。MIT Technology Review誌の2023年の10のブレイクスルー技術の一つとしても紹介されています。
 
卵を産む哺乳類の再発見
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哺乳類のヒト、家畜、ペットを合成生物学で卵生にしたら、世界はどうなるのだろうと、想像してみるのも楽しいかもしれません。 卵生の哺乳類というと、カモノハシやハリモグラが有名です。卵生のミユビハリモグラ属(Zaglossus)は、単孔目ハリモグラ科に分類される属です。ミユビハリモグラは、第1指と第5指の爪がないので、ミユビ・ハリモグラという和名がついています。 ミユビハリモグラ属Zaglossusには以下の3種が知られています。 Zaglossus attenboroughi アッテンボローミユビハリモグラSir David's long-beaked echidna Zaglossus bartoni ヒガシミユビハリモグラEastern long-beaked echidna Zaglossus bruijni  ミユビハリモグラ Western long-beaked echidna 英国の動物学者、植物学者、プロデューサー、作家、ナレーターであるサー・デイビッド・アッテンボロー(1926年生まれ、存命中)にちなんで名付けられたアッテンボローミユビハリモグラ(Attenborough's long-beaked echidna、Sir David's long-beaked echidna)は、1961年に発見されました。ハリモグラは夜行性で巣穴に住んでおり、非常に警戒心が高いため、見つけるのが難しいことで有名です。 アッテンボローミユビハリモグラは、ニューギニアのサイクロプス山脈以外で記録されたことがなく、現在、IUCN の絶滅危惧種のレッドリストで絶滅危惧種に分類されています。 オックスフォード大学を中心に結成された探検隊が、このほど、60年ぶりにビデオ撮影に成功しました。
 
【日曜コラム】論文の読み方、ニューヨークのバイオが熱い?
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今週は、ニューヨーク大学の研究者を中心とした国際的な合成酵母プロジェクトSc2.0の話題がニュースになっていました。 これらの論文のほとんどは1年ほど前からbioRxiv(プレプリントサーバ)に掲載されていましたので、「正式発表」されたというのが本当のところです。 一般メディアの最新科学ニュースは、実はずいぶん昔のことなんていうことがますます増えています。 一般メディアはプレプリントサーバでの発表は通常報道しないので仕方ないですが、どのタイミングで記事にするのか、難しい時代になりつつあります。 研究している人の立場からすると、論文原稿が完成して投稿した時点で、過去の仕事になってしまっているので、「正式発表」された研究というのはあまりに時間が経過していて忘れかけているなんていうこともあるものです。発表した研究者にとっては昔の研究が、ホットな最新ニュースとして報道されるのですから奇妙な感じがします。一般に、このような大きなプロジェクトというのは、論文発表の時期もかなりコントロールされていることが多いです(例えば、研究費グラントの切り替えの時期などです)。
 
合成酵母プロジェクトのプログレスレポート
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1週間前に、「大規模な哺乳類ゲノム書き換え技術」という記事でマウスES細胞のゲノムを書き換えるmSwAP-Inという技術を紹介しました。この研究を発表したのは、ニューヨーク大学のJef Boeke博士を中心としたチームでした。 同じJef Boeke博士が率いてきた国際研究チームが、今度は真核生物である出芽酵母Saccharomyces cerevisiaeの染色体を人工合成する合成酵母プロジェクトSc2.0の最新の結果をCell誌、Molecular Cell誌、および Cell Genomics誌に10件の論文として11月8日に正式発表(bioRxivに掲載済)しています。 酵母は、さまざまな化学物質をより効率的、経済的、持続的に生産できるようにするバイオテクの主力です。バイオ燃料、医薬品、味、香りの製造に加え、パン製造やビール醸造などの発酵でもよく使用されます。酵母のゲノムをゼロから書き換えることができれば、より強力で、より速く機能し、過酷な条件に対する耐性が高く、目的とする物質の収量が高い合成酵母を作り出すことができるかもしれません。ゲノムがどのように組織され進化するかなど、従来問題となっていたゲノムの基礎科学にも重要です。 合成酵母プロジェクトSc2.0の背景は、こちらの2017年の記事が詳しいです(ちなみに、この記事ではBoeke博士が、ベイキーと書かれています)。 このコンソーシアムは、米国、英国、中国を中心とする世界中の250人以上の研究者による15年間の研究を経て、酵母の16染色体すべての合成バージョンを構築するという目標に近づきつつあります。今回は、8つの新しい合成酵母染色体を構築し(50%を超える合成DNAを含むゲノム)、また付属品として「tRNAネオ染色体」を作りました。研究チームはすでに16本のうち残り2本の染色体も組み立てており、最後の結果は今年の終わりまでに発表される予定とのことです。
 
キャリア形成での分野の切り換え
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合成生物学は、新興分野で学際的な分野ですので、全く別の分野から参入というキャリアの人材が多い分野です。一般論として、科学研究やイノベーションにおいて、そういうπ型(パイ型)人材の存在が極めて重要になってくるわけです。 例えば、大学から大学院、大学院からポスドクといったキャリアの選択において、分野の切り換えを行うことが積極的に評価されなければいけません。日本において、合成生物学のような学際的な分野が盛んになりにくいのは、このようなπ型人材が生きにくい場所になっていることに大きな要因があると言っても過言ではないと思います。 新しいNature誌に、「研究分野をうまく切り替えるには(How to switch research fields successfully)」という文章がでています。 まず、こういうπ型人材が本当に重要なのか、ということをこの論文を引用して説明しています。 Sun, Y. et al. (2021) Interdisciplinary researchers attain better long-term funding performance. Commun Phys 4, 263. https://doi.org/10.1038/s42005-021-00769-z 学際的な研究は世界的に増加しています。 しかし、いくつかの研究では、より専門的な研究に比べて効果が低いことが多く、資金を集める可能性が低いことが示されています。 ここでは、英国の研究評議会から授与された 44,419 件の研究助成金を分析することにより、そのような証拠を照合しようとします。 学際的な資金提供の実績を持つ研究者は、中心性と知識仲介の両方の点で学術共同研究のネットワークを支配しているが、そのような競争上の優位性がすぐに利益につながるわけではないことがわかりました。 マッチドペア分析に基づく我々の結果は、学際的な研究者が短期的には自分の出版物で達成する影響力が低いことを示しています。 しかし、最終的には資金調達パフォーマンスにおいて、量と金額の両方の点で専門に特化した相手を上回ります。 これらの調査結果は、学際的なキャリアを追求するには余分な課題を克服する忍耐力が必要かもしれないが、より成功する努力への道を切り開くことができることを示唆しています。 分野を変えるとどのような不利な点や問題があるのでしょうか。
 
大規模な哺乳類ゲノム書き換え技術
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ゲノム合成は、マイコプラズマ、大腸菌などの原核生物や、出芽酵母などの真核生物で実行されています。しかし、哺乳類のゲノム合成は、ゲノムのサイズと複雑さゆえに、まだ実現されていません。 例えば、マウスのゲノムをヒト化することを考えた場合、ヒトにはあってマウスにない遺伝子も存在し、遺伝子発現を制御するノンコーディング領域、更に遺伝子発現などに微妙な影響を与える塩基レベルの違いもあります。また、ゾウのゲノムをマンモスのゲノムに書き換えるといった場合にも、このような技術が必要になります。染色体のDNAを小さく張り換える、塩基レベルで変換するという小技ではなく、ある大きな領域をそっくり置き換えるような技術の開発は重要です。 大きなDNA (100kb以上) アセンブリの技術とCreなどの部位特異的リコンビナーゼの使用の組み合わせは、哺乳動物ゲノムの大規模な操作に有効な方法です。しかし、このような大きなDNAフラグメントのこれまでの方法では、つなぎ目などに痕跡のような配列が残ることが問題です。また、巨大なDNAをクローニングするYAC、BACベクターなどを使って、大きなDNAを精製後、単に組み込んだ場合、その挿入部位が予測できず、位置効果の影響を受けるため、本来の遺伝子の発現パターンが再現されないこともしばしばです。 つまり、つなぎ目の痕跡も残さず、染色体上の狙った場所を広範囲にわたって操作するようなゲノム工学技術の開発が必要になっています。 例えば、その一つの方法が、Big-INというものです。
 

バックナンバー2023年10月

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絶滅したフクロオオカミタスマニアンタイガー)、ケナガマンモス、ドードーを蘇らせようとしている米国のバイオテクノロジー「De-extinction」企業であるColossal Biosciencesは、George ChurchとBen Lammによって2021年設立された企業です。今度は、オーストラリアのVictorian Grassland Earless Dragon(Tympanocryptis pinguicolla)を救うプロジェクトを支援するそうです。 テキサスに本拠を置くColossal Biosciencesは、以前からマンモスの復活に取り組んできましたが、2022年、タスマニアンタイガーとしても知られる有袋類フクロオオカミを復活させるための数百万ドル規模の入札でメルボルン大学と提携したと発表しました。今年になって、絶滅した鳥ドードーの復活に挑戦することも発表しています。 このたび発表したのは、より現実的な絶滅の危機に瀕しているVictorian Grassland Earless Dragon(Tympanocryptis pinguicolla)の対策です。
 
人工知能創薬スタートアップ
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Genetic Engineering & Biotechnology News (GEN)に人工知能(AI)を使った創薬スタートアップであるBigHat Biosciencesについての紹介がありました。また、いくつかのAI創薬スタートアップについても紹介しているので、今回はそれらをまとめてみたいと思います。 https://www.genengnews.com/topics/artificial-intelligence/ai-created-monoclonal-antibodies-drive-innovation-at-bighat-biosciences/ 📌BigHat Biosciences BigHat Biosciencesは、2019年にカリフォルニア州のSFベイエリア(サンマテオ)で、スタンフォード大学のMark DePristo、Peyton Greenside、Theresa Tribbleによって作られたスタートアップです。 機械学習とライフサイエンスのウェットラボを統合したプラットフォームMilliner™を構築し、それを利用してより優れた抗体をより迅速に開発、製造することを目標としています。つまり、DNA合成から無細胞タンパク質合成まで、プラットフォーム全体で合成生物学を利用しています。 同社では、現在、毎週約800個の分子を設計、作成、テストしているとのこと。今後数年間でさらに数倍の生産能力を目指すそうです。 どのようなものを作ろうとしているのか、詳しくは、GENの記事を見るとわかりますが、BiTE (2重特異性 T 細胞エンゲージャー)、BsAb(2重特異性抗体)、scFv(単鎖可変フラグメント)、重鎖可変ドメイン (VHH、sdAbs、またはナノボディ )、およびさまざまな用途向けの抗体薬物複合体 (Antibody-drug conjugate、ADC) を作るということです。
 
DNAを使ったキャンバス
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ふだん使っているカラーディスプレイは、赤、緑、青(RGB)の3種類の「各チャンネルでの光」の放出と、それぞれの「強度」を組み合わせることで、それぞれの「位置」で機能しています。ここで、光の強度の変化、つまり色合いは、LEDやOLED(有機EL)の電流の関数となっています。つまり、絵を描けるキャンバスを作るには、色、強度、位置の3つが表現できることが必須です。 「色」の異なる蛍光色素は、シーケンシングやハイブリダイゼーションなど核酸の化学的および生化学的検出に広く用いられています。 DNAマイクロアレイは、固体表面に付着させた数多くの異なる核酸配列の集まりです。スポットされたか、その場で合成されたかにかかわらず、マイクロアレイの本質は、固有のDNAの「位置」を正確に割り当てることです。 遺伝子発現レベルなどを調べるマイクロアレイでは、相補鎖へのDNAハイブリダイゼーションを用いて蛍光シグナルの検出を行います。ここでの、蛍光シグナルの「強度」は2本鎖の熱安定性の関数となります。したがって、核酸の配列を調整することで、強度をグラデーションとして表現することができるはずです。 10月3日に、オーストリアのウィーン大学の研究者らが、この強度のグラデーションを調整する方法を開発し、1,600万色のいずれかを生成できるDNAキャンバスの作成に成功したという報告をJACSに発表しました[1]。これは、これまでの256色の制限を超えた成果です。
 
ワイン造りと合成生物学
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実りの秋、食欲の秋、芸術の秋。秋はワインが似合う季節かもしれません。 Synbiobetaに、「Breaking Tradition: Could Synthetic Biology Shape the Future of Winemaking?」(伝統の打破: 合成生物学はワイン造りの未来を形作ることができるか?)という記事がでていましたので、読んでみました。 世界最古のバイオテクノロジー、遺伝子組換えワイン酵母、気候変動、新しいブドウ品種、バイオデザインワイン、合成ワイン、GMワイン、消費者の受け入れ、といった言葉から、ワイン造りに合成生物学が大きく関与するだろう未来を感じることができました。 マロラクティック発酵、ヴィンテージといったワイン造りの背景については、Wikipediaを参照しておくとよいかもしれません。 ①遺伝子組み換えワイン酵母 最初に市販されている遺伝子組み換えワイン酵母 ML01 は、ワイン中の乳酸菌によって生成される有害な生体アミンの形成を防ぐために 2006 年に開発されました。それ以来、人工酵母は広範囲に研究されており、風味、一貫性、保存期間を改善し、気候変動から保護するための経路や突然変異が導入されています。 遺伝子組み換えワイン酵母ML01や最近のワイン酵母の研究についての参考文献 ②近年のトレンドは、アルコール度数の低減。一方で、気候変動による気温の上昇の影響がワイン造りにも。
 
スタートアップ成功と創業者の性格
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スタートアップは、合成生物学を使った脱炭素化やワクチン開発など、今日の最も困難な問題の多くを解決し、イノベーションの源となっています。しかしながら、生き残る可能性が低いものでもあります。 スタートアップの成功には、業界、場所、経済状況など、いくつかの企業レベルの外部要因が関連していると考えられます。一方、チームの規模、過去の経験や失敗、他の創業者や投資家のネットワークとの関係など、内部要因についての関心も高まっています。 創業者の「性格」(Founders’ personalities)はどうでしょうか。 ニューサウスウェールズ大学などの研究チームは、世界中の21,000社以上のスタートアップの創業者の性格について調査し、最終的な成功の重要な要因であることを、10月17日付けのScientific Reports誌で発表しています[1]。 McCarthy, P.X. et al. (2023) The impact of founder personalities on startup success. Sci Rep 13, 17200. https://doi.org/10.1038/s41598-023-41980-y この研究では、まず、Twitter(現在、X)のユーザープロファイルとCrunchbaseの企業プロファイルという2つのデータセットから、 個人の性格と資金調達や投資家に焦点を当てた企業(n=21187 のスタートアップ)に関する情報を集めています。ここで、例えば、若く教育水準が高いと言われるTwitterユーザーと外部から資金提供を受けている企業が多いCrunchbaseというデータセットについてバイアスがかかっていることには注意が必要です。
 
ブタからサルへの腎臓移植を理解する(その1)
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先週、ゲノム編集技術CRISPR/Cas9を用いた異種移植臓器の開発を行ってきたeGenesis、マサチューセッツ総合病院(MGH)などのチームが、遺伝子を改変したブタの腎臓をサルに移植して長期間生存させることに成功したという報告が10/11日付のNature誌に掲載されたというニュースを見かけた方も多いと思います。 実際のNature誌の論文はこちらです。この論文は、オープンアクセスになっているので、無料で全文が読むことができます。 Anand, R.P.et al. (2023) Design and testing of a humanized porcine donor for xenotransplantation. Nature 622, 393–401. https://doi.org/10.1038/s41586-023-06594-4 これまで、既にこの関係の報道は多く行われてきました。しかし、このような報道があったところで、ほとんど詳細を知ることなく、「遺伝子を改変したブタの腎臓をサルに移植して、長期間生存させることに成功した」という一般ニュースのヘッドライン程度の理解で終わってしまう方が多いのではないか、と思います。 そこで、今週の「合成生物学は新たな産業革命の鍵となるか?」では、この論文をもう少し細かなところまで紹介することで、現在の合成生物学の現状をもう少し考えてみるということを試みてみます。
 
鳥インフルエンザに罹らない鶏を作る
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鳥インフルエンザは、養鶏業に大きな被害を与えます。野生の鳥にも被害を与えます。通常、人には感染しにくいですが、まれに感染することもありますし、変異が生じやすいため、既存のインフルエンザウイルスと遺伝子が交じり合うことで、人の間で感染が広がる新型インフルエンザが発生する可能性もあります。 このようなことから、鳥インフルエンザの発生を防ぐことは極めて重要です。世界の一部の国では、鶏や鳥へのワクチン接種を進めています。しかし、鳥が無症状になる可能性はあっても、感染からは保護されない可能性があるとの懸念からワクチン接種を実施しない米国や日本のような国もあります。そして、日本は、接種した鳥とウイルス感染した鳥を区別できないとして、ワクチン接種国からの加熱されていない鳥肉や卵などの輸入を認めていません。フランスは最近、アヒルの大規模なワクチン接種を開始しましたが、日本でも輸入を停止しています。 ワクチン接種しなくても、遺伝子工学を利用することで、もともとインフルエンザウイルスに感染しないようなニワトリの作製は既に試みられてきました。 この10月10日、英国ロスリン研究所を中心とするチームが、ゲノム編集技術を用いることで鳥インフルエンザに罹患しにくいニワトリを作製することに成功し、将来の方向を示すコンセプトを報告しています[1]。
 
がん検査に高価な実験データを有効活用する
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グリオブラストーマ(膠芽腫、こうがしゅ)は、予後の悪い難治がんで、5年生存率は6.8%と低いです。 その治療法の開発を妨げる大きな理由の1つは、がんの不均一性です。細胞には、遺伝子の変化の違い、エピジェネティックな状態の違い、および遺伝子発現プロファイルの違いがあります。 また、細胞の組成だけでなく、その空間的な分布も、患者さんの組織によってさまざまです。 このような背景のもと、この10年間、シングルセルRNA シークエンシング (scRNA-seq) や空間トランスクリプトミクスについての研究が、この不均一性の理解を深めてきており、がんの予後の予測や治療法の開発に役立つ可能性が示されてきています。 しかし、現実は、それぞれの患者さんからの組織について、scRNA-seqや空間トランスクリプトミクスを行うのは困難であるということです。 scRNA-seqを行うためには、それぞれの細胞にまで組織を解離することが必要であるため、細胞間相互作用の空間動態を捉えることができませんでした。特に高価で入手が難しい空間トランスクリプトミクスの情報も、組織内での細胞相互作用、組織構造、クローンの進化、腫瘍の進行、治療抵抗性についての理解に必須の情報となります。つまり、これらの情報を得る実験は、費用が極めて高価であり、高度な技術を要するために、日常的な臨床の場には適しません。[費用だけで一つ100万円で、技術も必要といったイメージ] 一方で、グリオブラストーマの組織切片を染色して病理組織検査を行うというこれまでの方法があります。この方法でも、予後をある程度予測することはできますが、重要なのは、病理組織の画像と予後について紐付いた情報が多量に集まっているビッグデータになっているということです。 最近、スタンフォード大学のグループが、少数の「scRNA-seqや空間トランスクリプトミクスの情報」と多数の「病理組織検査と予後の情報」を機械学習でリンクさせる方法を開発しました[1]。
 
甘、酸、塩、苦、旨味に続く6番目の味?
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甘味、酸味、塩味、苦味、そして旨味(うまみ)の5味は、基本味と呼ばれています。 日本では、1908年、池田菊苗がL-グルタミン酸ナトリウムを「うまみ」として主張し始めました。しかし、西洋において、うまみがUmamiという基本味として学界で広く受け入れられるようになったのは、20世紀の終わりになってからだとされています。特に、舌の味蕾に存在する味受容細胞がグルタミン酸受容体mGluR4を発現しているとした発見によって、Umamiは味の一つとして強く支持されるようになりました。 このように「味」として受け入れられるためには、それを感じる仕組みが現実に存在することが証明されることが大切だということになります。 これらの5つの味に続く、第6の味についての研究は続いています。「第6の味」についての理解はまだ研究途上ということになると思います。 そんななか、この10月5日に、南カリフォルニア大学の研究者たちが、塩化アンモニウムを「第6の味」とする研究結果を発表しました[1]。味蕾の酸味受容体細胞(III型細胞)で発現するプロトン選択的イオンチャネルであるOTOP1が、塩化アンモニウム(NH4Cl)のセンサーとして機能することを報告しています。
 
量子ドットと合成生物学
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事前に受賞者名が漏洩したと話題になっていますが、Moungi Bawendi、Louis Brus、Alexei Ekimovの3人がノーベル化学賞でした。Moungi Bawendiは、岡武史の関係者ということです。 その受賞理由は、この説明にもあるように、ノーベル物理学賞と同じように、医学への応用が強調されています。今年のノーベル生理学・医学賞も、がん治療にも利用されつつあるmRNAワクチンでした。mRNAワクチンについては、細胞への導入に必要なLNP(脂質ナノ粒子)の貢献は、今回の生理学・医学賞の対象とはなりませんでしたが、量子ドットも「ナノテクノロジー」の一つです。 2023年のノーベル化学賞は、量子ドットの発見と開発に授与される。量子ドットは、そのサイズが特性を決定するほど小さなナノ粒子である。このナノテクノロジーの最小部品は、現在、テレビやLEDランプから光を拡散し、また、外科医が腫瘍組織を除去する際のガイドとなるなど、さまざまな役割を果たしている。 いずれにしても、自然科学系の3つのノーベル賞が「がん治療」に関わるものというのは興味深いです。「ノーベル賞は、なぜか「がん」研究への受賞を避ける」というのは、生物医学系の研究者の間ではしばしば指摘されてきました。 さて、量子ドットは、候補の一つでしたので、解説も多いです。
 
がんの検出と区別にノーベル物理学賞
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NewsPicksでは、線虫を使うがん検出の問題が話題になっていますが、10月3日に発表になったノーベル物理学賞は、がん検出などの医療診断に使えるというのが受賞理由のひとつになっています。2021年の発表論文によれば、今回の受賞理由となったアト秒物理学を利用することで、がんの種類が区別できるかもしれないということです。 ノーベル物理学賞のプレスリリースの最後はこのように結んでいます。 Attosecond pulses can also be used to identify different molecules, such as in medical diagnostics.アト秒パルスは、医療診断のように、異なる分子を識別するためにも使用できる。 さて、アト秒パルス光の研究については、日本の研究者が少ないそうで、あまり良い日本語の解説が見つからないのですが、日経サイエンスが記事を出しています。 2023年ノーベル物理学賞:物質中の電子の動きを解析する「アト秒の科学」を切り開いた3氏に 3名の受賞者のなかで、がんの検出にこの方法を応用しようとしているのは、こちらでも紹介されているFerenc Krausz博士です。1962年生まれ、ハンガリー出身、ドイツのマックスプランク研究所の一つでミュンヘン近郊にある量子光学研究所の研究者です。 上のインタビューでも出てきますが、昨日、ノーベル生理学・医学賞を受賞したカリコ博士と同じハンガリー出身の研究者です。
 
単純ではない衛生仮説
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花粉症などアレルギー疾患の発生率は、過去1世紀にわたって増加しています。 一部の先進国では、子どもの約30%が5歳までに鼻炎、アトピー性皮膚炎、または喘息に罹患していると言われます。 その発症には様々な遺伝的要因、環境要因、さらに抗原側の要因が関与していると言われています。 一卵性双生児間の一致率は約50%であり、アレルギー疾患に対する感受性には遺伝的要因も重要な役割を果たしています。一方、1989 年、英国の疫学者であるDavid Strachanは、年上の兄弟が数人いる子供は、兄弟がほとんどいない、または兄弟がいない状態で育った子供に比べて、花粉症の発症率が大幅に低いことを観察しました。Strachanは、これが年長の兄弟から年下の兄弟への微生物の伝達によるものであると提案し、衛生仮説(Hygiene hypothesis)として知られるようになりました。他のアレルギー疾患にも当てはまるとされています。これを裏付けるように、日本人と遺伝的に近いモンゴル人は、アレルギー疾患の発症率が非常に低いこと知られています。現在では、衛生仮説は教科書的な概念となっています。 アレルギーの基礎研究は、特定病原体がない (SPF) 条件下で飼育されたマウスを使った動物実験が主なものです。 その結果、アレルギー免疫応答は、Th2細胞と呼ばれるリンパ球および類似のILC2集団によって担われることがわかってきました。 微生物に曝露することでアレルギーが生じなくなる主なメカニズムは、この免疫応答の抑制によるものと考えられています。 ところが、SPF条件下で飼育されたマウスは、ヒトの日常的な免疫応答を忠実に再現できないことが示されてきています。そこで、2019年、Rosshartらは、純系マウスのC57BL/6の胚を、「野生」のマウスに移植し、出産させることで、「野生Wildlingマウス」を作成しました。このマウスは、体のすべての部位に自然の微生物叢と病原体を持っているC57BL/6マウスということになります。 9月29日、スウェーデンのカロリンスカ研究所を中心としたチームが、Science Immunology誌に、この野生マウスでは、通常のSPFマウスと同じように、アレルゲンに対して強力なアレルギー反応を示すことを報告しています[1]。つまり、衛生仮説に対して疑問を投げかける結果です。
 

バックナンバー2023年9月

 
スムシって何?と思った方も多いと思います。「スムシ」でネット検索すると、養蜂サイトがたくさんでてきます。スムシは、ミツバチの巣を食い荒らす害虫として知られますが、メイガ上科のガであるハチノスツヅリガ Galleria mellonellaの幼虫のことです。英語では、Waxworm(Wax worm)と呼ばれています。スムシは、プラスチックを食べることで知られています。 プラスチックポリマーであるポリエチレン (PE)、ポリプロピレン (PP)、ポリスチレン (PS)、およびポリ塩化ビニル (PVC) は、世界のプラスチック総生産量の70%を占めています。スムシの唾液の中にプラスチック、特にPEを分解する酵素があることが最近わかってきました。
 
ガラクタDNAによる遺伝子発現の制御
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かつて、生物学者の大野乾は、So much junk DNA in our genomeのなかで、ゲノム上の機能が特定されていないようなDNA領域のことをjunk DNAと言い、以来その呼称がさまざまな機会に使われるようになりました。一方で機能が現時点ではわからなくても、何らかの機能をしていると仮定することもできます。したがって、ガラクタ、junk DNAと呼ぶのは言い過ぎで、実際、いろいろな機能が提唱されたり、確認されたりしてきています。 ショートタンデムリピート(STR)は、マイクロサテライトまたは単純配列リピートとも呼ばれています。連続的に繰り返される1~6 bpの短いDNA配列であり、最大100 ヌクレオチドの長さになります。原核生物とヒトを含む真核生物に広く見られますが、ヒトゲノムでは、約5%がこれに相当します。ヒトで最も一般的な STRは、A に富んだユニットです(A、AC、AAAN、AAN、および AG)。特にヒトで最も一般的なSTRはジヌクレオチド反復です。STRは、タンパク質をコードする遺伝子では1.5%、ほとんどのSTRは非コーディング領域、特に転写調節領域によく見られるとされます。 そのことから、STRは遺伝子発現に関係していると言われてきました。STRの長さの変化は遺伝子発現の変化と関連しており、統合失調症、がん、自閉症、クローン病などのいくつかの複雑な表現型に関係していると考えられています。 しかし、STR が転写に影響を与えるメカニズムは不明のままです。 そんななか、9月22日のScience誌に、スタンフォード大学を中心とするチームが、STRが転写因子(TF)に結合して真核生物の遺伝子発現を調整しているのではないか、という論文を発表しました[1]。
 
光の色で植物の遺伝子発現を操る光遺伝学
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光遺伝学(オプトジェネティクス)は、光を照射することで活性化されるタンパク質を特定の細胞に遺伝子導入といった遺伝学的な方法で作らせて、そのタンパク質の機能を光で制御する技術です。特に神経科学分野で動物の神経細胞の活動の制御に広く用いられてきています。 植物でも、栽培中に光を照射して、例えば病原菌の発生を防ぐための遺伝子の制御をしたり、ある枝だけに花を咲かせたり、発生などの基礎研究にも、光遺伝学は利用できそうです。 しかし、そもそも生存するために光が必要な植物に光遺伝学を使うのは容易ではないです。植物で光遺伝学を利用するには、以下のようなことができると理想的です。 (1)人工的な光刺激に特異的に応答。 (2)通常の植物成長条件、明暗サイクルのもとで使える。 (3)時間的、空間的に制御できる明確なオン状態とオフ状態を持つスイッチとして機能。 (4)植物内のシグナル伝達系とは無関係(オーソゴナル)。例えば、熱(ヒートショック)とは無関係。 (5)外部から供給される発色団(他の化学物質など)が不要。 これまで、このような目的の最近のツールとして、PULSEという光遺伝学システムが開発されています。 PULSE は、明暗サイクル中に赤色光で遺伝子発現オフからオン状態にすることができます。 9月21日、英国のケンブリッジ大学Sainsbury Laboratoryのチームは、植物で使える興味深い光遺伝学ツールHighlighterを開発し、PloS Biology誌に報告しています[1]。 Larsen, B. et al. (2023) Highlighter: An optogenetic system for high-resolution gene expression control in plants. PloS Biology. https://doi.org/10.1371/journal.pbio.3002303 Highlighterは、シアノバクテリア由来の光によるスイッチ可能なCcaS-CcaRシステムを利用しています。
 
「機能獲得」研究のランドスケープとコンテインメント
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機能獲得実験(Gain-of-function、GOF)や機能欠失実験(Loss-of-function、LOF)というと、分子遺伝学を学べば馴染み深い言葉です。一方で、聞き慣れない、難しそうな専門用語と感じる方も多いかもしれません。 GOFとは、一般的には、生物や遺伝子に本来とは違った機能を与える研究のことです。単に正常より過剰にタンパク質を(遺伝子発現量を強めて)作らせるというようなことも相当すると思います。 しかし、最近の一般報道などで見かける「GOF」とはウイルスなどの病原体に関するもので、その毒性や感染力を遺伝子操作で人工的に高める研究をさすことが多いです。 SARS-CoV-2ウイルスは、感染動物との接触を通じてヒトに広がったというのが通説になっています。一方で、研究者がGOF研究を行っていた実験室から何らかの理由で流出したのではないか、という推測もされています。この流出説は陰謀論だという意見もありますが、その真偽は判断を可能にする材料が存在しないというのが現実です。 このような背景もあり、世界中でどのようなGOF研究が行われているのか、その実情を把握し、規制する手段を検討する必要があります。しかし、GOF研究の実態はあまり知られていませんでした。 先ごろ、ワシントンDCにあるジョージタウン大学安全保障・新技術センター(Center for Security and Emerging Technology)の研究者が、人工知能ツールを使って病原体についての科学文献を調査することで、GOF研究がどこで、どのような頻度で行われているかを分析しました。
 
引用される合成生物学
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例年この時期に発表されるClarivateの「クラリベイト引用栄誉賞」2023年版が発表されました。クラリベイト引用栄誉賞は被引用回数が高い研究論文およびその著者を特定したうえで選ばれています。「クラリベイト引用栄誉賞」の生命科学関係は、ほとんどが合成生物学とも関係したトピックになっているように思われます。 なお、被引用回数だけで論文を語ることはできないとよく言われます。被引用回数だけで評価する賞を安易に報道する日本の報道機関やそれを評価基準として利用する日本の研究機関の姿勢には疑問を感じます。 まず、分野ごとの研究者や研究論文の多さ、引用の慣習にも依存するので、分野別の比較ができません。そもそも先進国で患者さんの多い病気と地方に限定された感染症や希少遺伝性疾患は、患者さんにとっては同じように治療したい病気であるはずです。それを被引用回数という形で研究価値を比較してしまうというのは、倫理的なのでしょうか? オリジナル論文より総説や総説的な要素の強い論文、方法論に関する論文は被引用回数が多くなります。誰もが読めない状態の論文とオープンアクセスの論文と比べた場合、オープンアクセスの方が引用されやすいと言われます。 ネガティブな引用というのもあるでしょう。地域コミュニティのバイアスによる被引用の連鎖というのが人口の多い国家からの研究では指摘されることがあります。お手軽な論文を多数発表する研究者が自分で自分の論文を引用するということによる歪みもあります。 更に、「引用されなくなったら本物だ」と言われるように、あまりに当たり前になってしまったことは引用されなくなります。 2023年「クラリベイト引用栄誉賞」について、詳しくは、clarivate.comでの発表をご覧ください。
 
系外惑星に生命の痕跡?
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NASAは、ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)が、太陽系外惑星に生命の痕跡を示す証拠を発見した可能性があるという発表をしました。 少なくとも地球上では生物だけが発生させるジメチルスルフィド(dimethyl sulfide、DMS)が検出されたかもしれないということです。 ただ、120光年離れた系外惑星での検出は確実ではないため、研究者らは、その存在を確認するにはさらなるデータと分析が必要だと注意しています。最近も、太陽系の金星の雲の中で生物によって生成される可能性のあるホスフィン(phosphine)が存在していると2020年になされた主張について、疑義がでているということもあります。 今回のJWSTによる観測では、しし座にある8.6倍の質量を持つ系外惑星K2-18bに、メタンや二酸化炭素などの炭素含有分子の存在が明らかになりました。メタンや二酸化炭素の存在は確実で、NASAの発表も「K2-18b の大気中でメタンと二酸化炭素を発見」となっています。 このK2-18bは、地球と海王星の中間の大きさであり、地球のような岩石惑星とは異なります。この種の惑星は、私たちの太陽系には存在しませんが、銀河系においては、これまでに知られている最も一般的なタイプの系外惑星だとされています。 しかし、特に注目されているのは、この系外惑星でDMSが検出されたかもしれないという点です。
 
ムール貝にヒントを得た超強力接着剤
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身の回りには、携帯電話、コンピューター、自動車、家具、靴、包装、そして壁など接着剤があふれています。現在の接着剤は安価で高性能ですが、環境への負荷も大きいとされます。例えば、廃棄される接着剤は、化学的に分解されず、機械的に粉砕され、海洋のマイクロプラスチック問題の一因となっています。 典型的なエポキシ接着剤は、ビスフェノールAジグリシジルエーテルなどの多官能性エポキシ含有化合物と、トリエチレンテトラミンなどのポリアミンとの反応が基本になっています。 一方、天然では、ムール貝(ムラサキイガイ、mussel)が、3,4-ジヒドロキシフェニルアラニン(DOPA)を含むタンパク質で岩に強力に接着することが知られています。 DOPAは、ムール貝の接着に関わるタンパク質が合成された後の翻訳後修飾でできます(下図)。DOPA基により、このタンパク質は水素結合や金属キレート形成などの相互作用を介して表面に結合します。さらに、これらのペンダント型ジヒドロキシフェニル(つまりカテコール)基の酸化は、凝集性相互作用をもたらす架橋を作ります。 9月13日付けのNature誌で、Purdue Universityのグループが、この化学構造にヒントを得た持続可能な、つまり天然由来で天然で処理できる新しいタイプの強力な接着剤ができたことを報告しています [1]。 Westerman, C.R. et al. (2023) Sustainably sourced components to generate high-strength adhesives. Nature 621, 306–311 https://doi.org/10.1038/s41586-023-06335-7 その材料は、エポキシ化大豆オイル、リンゴ酸、タンニン酸の3つです(下図b)。エポキシ化大豆オイルは、大豆オイルと酸、過酸化水素との単純な反応で得ることができ、すでに大規模かつ低コストで入手可能であり、例えばポリ塩化ビニルの可塑化などに使用されているそうです。
 
キチンを食べると起こること
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キチン (chitin) は直鎖型の多糖、ポリ-β1-4-N-アセチルグルコサミンです。自然界では、セルロースに次いで2番目に多い多糖類と言われます。昆虫などの節足動物や甲殻類の外骨格、軟体動物、頭足類、カビ・キノコなど真菌類の細胞壁などの主な成分となっています。 日本では、エビ、カニ、イカ、タコ、キノコなどが日常的な食品です。また、昆虫食も伝統的な食ですし、最近では食料問題の解決につながる食として注目されています。一方でキチンは、II型アレルギーといった免疫反応を引き起こすことも知られてきました。 9月7日付けのSCIENCE誌に、米国セントルイスのワシントン大学メディカルスクールのグループが、キチン摂取による胃の自然免疫活性化による適応について報告しています[1]。 Kim, D.H. (2023) A type 2 immune circuit in the stomach controls mammalian adaptation to dietary chitin. Science. 381:1092-1098. doi: 10.1126/science.add5649. マウスがキチンを摂取すると、胃が膨らみ始め、胃の内壁にあるタフト細胞および2型自然リンパ球(ILC2)によるサイトカイン産生を引き起こします。そして、キチン消化に必要なキチン分解酵素である酸性哺乳類キチナーゼ(acidic mammalian chitinase, AMCase)が酵素原主細胞(zymogenic chief cell)によって作られます。これは、キチンを持つ寄生虫の侵入に対応するための適応ではないか、と考えられます。つまり、マウスによるキチンの消化は免疫反応、特に腸内寄生虫のような寄生虫に対する免疫反応に依存しているようです。
 
電気的にDNAを検出する
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特定の核酸の配列を迅速かつ正確に検出することは、感染症、がんなどの診断・治療に重要です。核酸配列の検出は、人間などによる観察や機械学習による画像診断などとは違って、一般的にブラックボックスがありません。「ブラックボックスのない検査」の開発と改良の重要性はますます高まっています。 現在、核酸の検出は、蛍光または発色をもとにした方法が一般的です。今回は、最近、発表された電気的に検出する2つの方法について紹介したいと思います。 📌DNAナノボール 最初は、9月6日に、スタンフォード大学、ラトガーズ大学、カロリンスカ研究所のグループが、Science Advances誌に発表した研究です[1]。核酸を、DNAナノボールを用いることで電気的に検出できるとしています。 Tayyab, M. et al. (2023) Digital assay for rapid electronic quantification of clinical pathogens using DNA nanoballs. Sci Adv. 9:eadi4997. doi: 10.1126/sciadv.adi4997. この方法では、コンパクション・オリゴヌクレオチドを用いて、ナノボール上で標的を増幅するというループ媒介等温増幅(LAMP)を行います。LAMPアンプリコンに存在する共通領域に相補的なオリゴヌクレオチド(コンパクション・オリゴヌクレオチドと呼ぶ)を使用することで、DNAをナノボールに「ホッチキス留め」することができるというアイデアです。この反応は一つのチューブ中で行うことができます。 次に、キャピラリー中の流れを利用して、こうしてできたDNAナノボールをマイクロ流体インピーダンスサイトメーターに通すことにより、個々のナノボールの動きを、インピーダンスの変化によって検出しています。
 
大気汚染と抗生物質耐性の関係
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9月10日の米国の公共ラジオ放送NPRで取り上げられていた話題です。 https://www.npr.org/2023/09/10/1198675569/air-pollution-could-be-making-antibiotic-resistance-worse 薬剤耐性菌の問題は世界的な問題で、毎年、世界中で数百万人の死者を出していると言われています。国連によると、薬剤耐性菌関連の年間死者数は2050年までに1000万人に達する可能性があるとされます。 一方、粒子状物質(particulate matter, PM)2.5による大気汚染も世界中で深刻になっています。PM2.5により、農業、水産養殖、廃水処理、病院などから環境中にもれる抗菌薬耐性細菌が運ばれる可能性があると長い間疑われてきました。 8月のLancet Planet Health誌に、薬剤耐性(Antimicrobial Resistance, AMR)と大気汚染の間に相関関係があるのではないか、という報告が中国の浙江大学と英国のケンブリッジ大学のチームにより発表されました[1]。 https://www.thelancet.com/journals/lanplh/article/PIIS2542-5196(23)00135-3/fulltext Zhou, Z. et al. (2023) Association between particulate matter (PM)2·5 air pollution and clinical antibiotic resistance: a global analysis. Lancet Planet Health. 7:e649-e659. doi: 10.1016/S2542-5196(23)00135-3. チームは、複数の潜在的予測因子(大気汚染、抗生物質の使用、衛生サービス、経済、医療費、人口、教育、気候、年、地域)に関するデータを2000年から2018年まで116カ国で収集し、単変量解析および多変量解析によってPM2.5が抗生物質耐性に及ぼす影響を推定しました。その結果、粒子状大気汚染と臨床的抗生物質耐性の報告との間に強い関連性があると結論づけています。
 
合成ヒト胚モデルの利用法
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イスラエル・ワイツマン科学研究所のJacob Hanna博士の研究チームが、実験室で培養した幹細胞からヒト胚のモデルを作成し、子宮の外で14日目まで成長させることに成功しました。この合成胚モデルは、胎盤、卵黄嚢、絨毛膜嚢、さらに他の外部組織を含む、この段階に特徴的なすべての構造を持っているということです。 9月7日、BBCの英語ニュースを聴いていたら、トップで報道していたニュースですが、日本語ニュースにもなっています。 Oldak, B. et al. (2023) Complete human day 14 post-implantation embryo models from naïve ES cells. Nature https://doi.org/10.1038/s41586-023-06604-5 実は、この論文、去年の秋には、bioRxivにプレプリントとして掲示されていましたので、査読後、雑誌掲載で改めてニュースになったという感じです。タイトルや文章が少し変わっていますが、Nature誌の場合、編集過程で変更されることがしばしばあります。 既にマウスを使っての応用研究は実施されており、こういう記事のソースにもなっています。 幹細胞から人工胚、「最高の臓器プリンター」目指すイスラエル企業 RenewalBioというのが、このイスラエル企業です。 また、別のグループも昨年、同様な学会発表を行っており、その報道がありました。 BBCの報道では、このような合成胚モデルの利用法について、以下のように説明しています。
 
綿花の細胞農業の将来性
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ワタはアオイ科ワタ属(Gossypium spp.)の多年草の総称です。英語ですとCottonですが、日本語ですと、ワタ、綿花(めんか)、木綿(もめん)、綿といった言い方の使い分けがあるようです。 現在、人類が使用する家庭用繊維製品の7割は、ポリエステルやナイロンなどの石油由来の素材で作られています。木綿は合成繊維よりも二酸化炭素排出量が低いにもかかわらず、利用されている繊維に占める割合は2割ほどです。 中国、インド、米国がワタのトップ生産国です。栽培には、多量の水が必要です。しかし、気候変動、つまり気温の上昇と干ばつで、灌漑用の淡水が減少していて、世界のワタ生産に混乱をもたらしていると言われます。少ない水、肥料、殺虫剤でも生育できる新しいワタ品種の作出が行われています。 9月4日付けのsynbiobetaで、バイオリアクターで育つワタ細胞を利用する細胞農業の可能性について紹介されています。 ここで話題になっているのは、Galyという会社です。Galyは、2019年、Luciano BuenoとPaula Elblによって、米国西海岸のサンフランシスコで設立された会社ですが、現在は東海岸のボストンに基盤があります。 これまで、AmazonやGoogleに投資を行ってきたベンチャーキャピタリストJohn Doerr、OpenAIのCEOであるSam Altman、Tony Fadell(AppleのiPod部門の元副社長)などの投資家から3,200万ドル以上の資金を調達することに成功しているといいます。
 
【合成生物学ナビ】あなたの体の中にある原子の総数は?
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「あなたの体の中にある原子の数は?」 【合成生物学ナビ】は、合成生物学の原点に立ち返って、合成生物学の基礎を確認するためのものです。時々、挿入していく予定です。 定量生物学とフェルミ推定 合成生物学の展開上、「定量生物学」は、計量法と理論モデリングの組み合わせで生物系の設計原理や機能法則を明らかにするとともに、生物工学的な効率を検討する上で、重要な視点です。 フェルミ推定は、実際に調査するのが難しく、感覚的に予測することが難しい数値を、いくつかの手掛かりを元に論理的に推定することです。「あなたの体の中にある原子の数は?」というような推定がそんな例です。生物学、環境問題の理解、更には企業経営など、さまざまな局面で、しばしば体験することです。 今回は、イスラエル・ワイツマン科学研究所のRon Milo博士による「Biology and Sustainability by the Numbers(数字で見る生物学と持続可能性)」という授業(講義)を紹介します。 シラバス 過去数十年の間に、生物学や環境学は記述的で定性的な学問から、より分析的でデータ主導の定量的な分野へと急速に発展してきた。私たちを取り巻く最も基本的なプロセスを記述する数値を収集する能力は著しく向上し、これらのデータに基づく単純な計算は、重要な洞察を提供し、科学的な直感を豊かにすることができる。    本コースでは、生物学や持続可能性の分野から、重要な数値を用いた裏返し計算(いわゆるフェルミ推定)の実践と、研究への有用な応用を学ぶことを目的とする。結果の大きさを決定する主な要因を特定する方法、簡略化を許可するタイミング、効率的な計算方法、よくある落とし穴を避ける方法などを学ぶ。      このコースは、基本的な(しかししばしば驚くような)問題の多くの例を通して、定量的細胞生物学と持続可能性の様々な側面について毎週講義を行う構成となっている。 Ron Milo博士は、BioNumbersというデータベースを作製、維持しています。 このBioNumbersは、2007年にハーバード大学のシステム生物学教室で、Ron Milo、Paul Jorgensen、Mike Springerの3人が共同研究を行っていた時に始まったもので、生物学ででてくる様々な「数字」を収集しているものです。 例えば、「Brain」については、こんなデータが集まっています。
 
匂いの予測と嗅覚のデジタル化
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目では波長が色に、耳では周波数が音の高さとして知覚されます。その結果、視覚や聴覚のデジタル化は容易で、テレビを楽しむことができます。ところが、嗅覚はそういう形では扱うことができていません。 8月31日付けのScience誌に、嗅覚のデジタル化を狙った研究を、Google Researchからスピンオフした会社であるOsmoを中心とした研究チームが発表しています。Osmoはマサチューセッツ州ケンブリッジに拠点を置いていて、様々な日用品に利用できる新しい「匂い分子」の設計を目指しています。 Lee, B. K. et al. (2023) A principal odor map unifies diverse tasks in olfactory perception. Science. 381:999-1006. doi: 10.1126/science.ade4401. この研究は、1年ほど前に、bioRxivに投稿されています。 匂いの元になる物質(匂い分子)は、数十万種類あるそうです。匂い分子の構造とどんな匂いと感じるかについての関係は複雑です。つまり、分子の標準的な化学情報(官能基数、物理的性質など)では、その分子がどのような匂いであるのかは予測できません。 研究グループは、「草っぽい」「フルーツっぽい」などの55個の匂いを説明する単語を1つ以上割り当てることができる、人工知能 (AI) システムを作りました。そしてそのAIに、約5,000種類の匂い分子と匂いの説明を機械学習させました。利用したのは、Good ScentsとLeffingwellというデータベースです。
 

バックナンバー2023年8月

 
Ginkgo Bioworks(DNA (NYSE))は、Jason KellyらMITの5人の科学者によって2008年に設立されたボストンのバイオテク企業。2021年9月、ニューヨーク証券取引所に上場しています。合成生物学分野では、最もよく知られている企業の一つです。 8月29日、Ginkgo BioworksとGoogle Cloudが、 5 年間にわたるクラウド人工知能技術のコラボレーションを発表しました。この戦略的なパートナーシップにより、Ginkgo Bioworksは生物学とバイオセキュリティのためのAIを活用したツールの開発を行うとしています。 8月31日まで、サンフランシスコで開催中のGoogle Cloud Nextでも内容の発表があるとされています。また10月3日には、Ginkgoによる投資家向けの説明会が開催されるようです。 以下、これまでの報道発表からポイントをまとめてみます。
 
カカポの個別化医療
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合成生物学には、多様なゲノム情報の保存、更には絶滅から復活させるDe-extinctionといった課題もあります。 カカポ(マオリ語: kākāpō(カーカーポー)、フクロウオウム(梟鸚鵡)、学名: Strigops habroptilus)は、ニュージーランド固有のオウムの一種です。 https://en.wikipedia.org/wiki/Kākāpō 夜行性で飛べない鳥であること、最も体重が重たいオウムであること、レック(lek)と呼ばれる独特の繁殖法を持ち、100年近く長生きするとも言われています。 カカポは小型の陸上哺乳類もいないニュージーランドという天敵のいない土地に生息してきました。その結果、人にも警戒心が全くないといいます。ニュージーランドに、人類や他の哺乳類がやってくると、その数は激減することになり、絶滅の危機に瀕することになりました。 過去数十年にわたる様々な保護活動で、回復はしたものの、現在、生存個体数が確認されているのは250羽ほどです。生存カカポの数を日々更新している、こちらのウェッブサイト「Kākāpō Recovery」では、8月29日現在、247羽だとしています。 この数字の存在は、個体のすべてが把握されていることを示しており、実際にすべての個体がタグ付けされ、名前がついているそうです。 8月28日、ニュージーランド、オタゴ大学のグループと保護活動家のチームは、生存している個体と死後保存されているサンプルの両方から、2018年当時のほぼ全個体数に相当する169羽のカカポのゲノムを解読したと報告しています[1]。
 
ムスタファ・スレイマン「 The Coming Wave 」の波とは
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ムスタファ・スレイマン(Mustafa Suleyman, 1984-)は、Google傘下DeepMindの共同創設者です。最近は、「パーソナルAI」を目指すスタートアップInflection AIのCEOとしても注目されています。 そのスレイマンと共同執筆者による「The Coming Wave: Technology, Power, and the Twenty-first Century's Greatest Dilemma(来るべき波: テクノロジー、パワー、21世紀最大のジレンマ[仮訳])」という新刊本(英語)が、来る9月5日に発売されます。大々的にキャンペーンをやっているようで、その書評があちこちにでていますので、紹介したいと思います。 ここでスレイマンが言う「波」とは、「人工知能と合成生物学という2つの中核的な技術によって定義されるもの」ということです。 まず、この本について寄せられているコメントです。論客として知られるビッグネームの推薦で、これだけで読んでみたくなります。邦訳も発売されることでしょう。 「魅力的で、よく書かれた、重要な本。」—ユヴァル・ノア・ハラリ 「必読書」—ダニエル・カーネマン 「前例のない時代を乗り切るための優れたガイド。」―ビル・ゲイツ まず、著者のムスタファ・スレイマンについて。 ムスタファ・スレイマン(Mustafa Suleyman、1984年8月生まれ)は、イギリスの人工知能研究者、起業家。グーグルが買収し、現在はアルファベットが所有する人工知能企業ディープマインド(DeepMind)の共同創業者であり、応用AI部門の元責任者である。現在は、Inflection AIのCEO。 彼の言う「波」とは、人工知能 (AI) と合成生物学であり、今後10年は、この強力で急速に普及する新技術の波によって支配されるだろうと予測しています。
 
新型プログラマブル・ヌクレアーゼ
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プログラム可能な部位特異的ヌクレアーゼは、合成生物学を代表するツールの一つです[注]。これを用いるゲノム編集技術関係の話題は、大雑把に4種類あると思います。 ゲノム編集関係のニュースは、これらの4つのどこにポイントがあるか、考えてみるとわかりやすいと思います。 ①デリバリー。ゲノム編集ツールをどのように標的とするゲノムに届けるか、ということです。ツールを組み立てるのは容易なので、それをどのように細胞やその核など、標的となる核酸のある場所に届けるか、という点です。 ②ツール改良。オフターゲットなど特異性や効率に関わる改良です。意図した標的でないところも編集してしまったら、問題です。メカニズムや構造についての研究は、これを目的にしていることが多いです。③とも関係しているのですが、オフターゲットと一言で言ってしまうのもまた問題で、さまざま変なことが起こることがあるので、そうならないような技術も必要です。 ③結果の多様化。塩基を置き換えたり、大きく配列を換えたり、新しい配列を入れたりするような多様な編集結果をもたらす方法です。配列を置き換えるだけでなく、遺伝子発現を制御するといった違った使い方もあります。 ④ゲノム編集技術そのものの開発。Cas9以外のツールも次々開発されています[注]。DNAだけでなくRNAについての技術も含まれます。 おそらく、「新しいゲノム編集生物ができた」といった最近の報道は、ゲノム編集そのものに新規性があるのではなくて、①の対象となるそれぞれの生物にゲノム編集ツールを届ける方法を工夫、開発したというところに本質があることがほとんどです。つまり、ゲノム編集技術そのものの開発ではないことが多いです。極端な場合、ヒトに適用したという話題も、技術の面だけからは、この①に相当する可能性が高いです。 いずれにしても、利用頻度の高いCRISPR-Cas9だけでなく、④ゲノム編集技術そのものの開発ということで、CRISPR-Cas9とは全く違った方法があると、①から③が全く違う形で解決されてしまう可能性はあるのかもしれません。 そんななか、8月10日、サウジアラビアのキング・アブドゥッラー科学技術大学 (KAUST) のグループが、PNAアシストpAgo編集(PNP編集)と称するArgonauteタンパク質を使った新しいプログラム可能な部位特異的ヌクレアーゼを開発し、Nuc. Acid Res誌に発表しています[1]。 Marsic T. et al. (2023) Programmable site-specific DNA double-strand breaks via PNA-assisted prokaryotic Argonautes. Nucleic Acids Res. gkad655. https://doi.org/10.1093/nar/gkad655 KAUSTは、サウジアラビア初の工科系大学であり男女共学制で2009年9月に100億ドル(1兆数千億円)で紅海側のメッカ近くに設立された大学で、まだ設立されたばかりですが、アジアで最も注目されている理工系大学の一つです。 Argonauteタンパク質ファミリーのメンバーは、原核生物の中では、古細菌と真正細菌の一部に見られますが、原核生物アルゴノート (pAgo) タンパク質は、バクテリオファージや接合プラスミドから侵入する遺伝要素を防御するための自然免疫システムとして機能します。 pAgoは、ヌクレアーゼ ドメインを1つしか持ちません。 したがって、二本鎖切断の生成には、標的 DNA 配列の上鎖と下鎖上の 2 つのpAgo 複合体の結合が必要です。 多くの研究者が、ゲノム編集のためのプログラム可能な DNA エディターとして pAgo を利用し、開発することを試みてきました。 ところが、37℃といった生理学的温度ではpAgo活性が働かないため、真核細胞では利用できず、その使用は高温でも生存できる細菌に限定されていました。また、初期の研究での論文発表の結果が全く再現できなかったことから、その導入には慎重な研究者も多いという現状があります。
 
CAV-2ベクターによる遺伝子治療
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先週、組換えAAV(アデノ随伴ウイルス)ベクターによる最新の遺伝子治療の話題を紹介しました。 このなかでも紹介したように、現在、組換えAAVによる遺伝子治療は、もっとも成功しており、そのいくつかは既に臨床応用されています。 一方、組換えAAVには弱点があります。 1つめは、これがヒトのウイルスであるため、ヒトに注入した場合、免疫反応を起こす、つまり異物として即座に認識されてしまい排除されてしまう可能性があることです。2つめは、セロタイプによって、感染細胞が大きく異るように、限定された細胞表面上のレセプターを認識しているために、使い方が限定的になるという点です。3つめは、挿入した遺伝子が実際に発現し始めるのに、数週間といった時間がかかることがあることです。4つめは、(原則として)大きなサイズの遺伝子を入れることができないという点です。 そこで、AAVとは違った種類のウイルスベクターも検討されています。例えば、イヌアデノウイルス2型(Canine adenovirus type 2)をベースとした組換えCAV-2ベクターです。多くの神経細胞に、大きなサイズの遺伝子を発現させることができるのが特徴です。 ドラベ(Dravet)症候群は、致死率の高い難治性の小児てんかん性脳症です。日本の厚生労働省の指定難病140で、国内の患者数は3000ほどと言われています。他のてんかんとは違って、薬物治療は限られています。
 
エクイティを考慮する合成生物学
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Equity(エクイティ)という単語をご存知でしょうか? 現代の企業理念に必須とされてきているDEI(「Diversity(多様性)」「Equity(公平性)」「Inclusion(包括性)」)のなかにあるEquityです。最近、科学研究や開発においても、Equityを考慮することが強く求められるようになってきています。 2023年8月22日、米国科学・工学・医学アカデミーと米国医学アカデミーが、「Toward Equitable Innovation in Health and Medicine」という報告書を発表しました。 生物医科学、データサイエンス、エンジニアリング、テクノロジーの進歩は、健康と医療を変革する可能性を秘めたハイペースなイノベーションにつながっている。これらのイノベーションは同時に、その恩恵とリスクをいかに公平に配分するかなど、倫理的・社会的に重要な問題を提起している。全米科学・工学・医学アカデミーは、全米医学アカデミーと共同で、「保健・医療における新たな科学・技術・イノベーションの枠組みの構築に関する委員会」を設立し、変革的な技術の開発と利用を倫理的かつ公平な原則に合致させるための枠組みの構築において、リーダーシップを発揮し、広範なコミュニティを巻き込んだ。この委員会の報告書では、公平なイノベーションを推進し、より広範な人々のニーズに応え、不公平が生じた場合にそれを認識し対処することができるエコシステムを支援するために、イノベーションのライフサイクル全体を通して意思決定を行うためのガバナンスの枠組みが説明されている。 報告書は、登録すると、無料で全文を入手することができます。 この報告書では、健康と医療における遺伝子編集、再生医療、人工知能といった新興の科学、技術、イノベーションをEquityと整合させるためのガバナンスの枠組みを示しています。 具体的に合成生物学、神経科学、バイオマニュファクチャリングといった合成生物学関係の分野をあげて、Equityの考慮が必要だとしています。 合成生物学、神経科学、バイオマニュファクチャリング、通信などの分野は急速に進歩しており、医療や社会を変革する可能性のある技術を生み出しています。 同時に、入院者数と死亡者数の格差や、新型コロナウイルス感染症パンデミック下で限られたワクチンや治療薬を公平に配布する際の課題は、誰が医療や医学の進歩から恩恵を受けるかについての著しい不公平を明らかにしている。 まず、Equityという概念を理解することが、重要です。日本語では、公平性、衡平性などと訳されることがあります。しかし、このように訳されることで、公平という陳腐な概念として理解されたり、衡平という普段見かけない難解な概念として捉えられたりして、本来の意図が伝わらないということになってしまいがちです。 特に大切なのが、Equality(平等)との区別です。下のイラストは、EqualityとEquityの違いを説明するのにしばしば見かけるものです(なお、このイラストは自由に使っても大丈夫だそうです)。支援する台を分配するのに、平等ではなく、背の小さな人により多く分配するというのがEquityの概念です。非常に簡単な実例では、薬の臨床試験に、多様な人種を含めるとか、大学への入学選抜のアファーマティブ・アクションのようなことがEquityの考え方を反映しているものです。 そして、合成生物学を含めた研究・開発には、Equityを考慮することが強く求められるということです。 報告書では、研究・開発に関わるEquityには次のようなものがあると分類しています。 - 話題のEquity: イノベーションのポートフォリオには、伝統的に不正義を経験してきた人々を含め、多様なコミュニティに関連するトピックを含めるべきである。 - イノベーターのEquity:イノベーターは、幅広い想像力と創造性を発揮できるよう、十分なサービスを受けていない、あるいは社会から疎外されているコミュニティのメンバーを含む、多様な人々を反映すべきである。 - インプットのEquity: 開発および実施プロセスには、多様な代表からなるチームを参加させるべきである。これは、広範な利用者コミュニティにとって適切で関心のある製品を作り、影響を受けるコミュニティを尊重し、説明責任を高めるためである。 - 評価のEquity: 新技術は、その有益性と有害性の評価における誤りを減らし、最終的な適用範囲を広げるために、多様な集団または代表的集団において評価されるべきである。 - 展開のEquity: 伝統的に十分なサービスを受けてこなかったり、社会から疎外されてきたりした集団を含む多様な集団が、技術にアクセスし、利益を享受できるようにすべきである。 - 価値の捕捉のEquity: 新技術から生み出される価値は、公正に捕捉され、分配されるべきである。 - 文脈のEquity: 新技術は、過去の不正義を永続させるべきではなく、可能な限り過去の不正義に対処または是正すべきである。 - 注意のEquity: 組織やイノベーターは、テクノロジーの展開方法におけるEquityを積極的に追求し、緩和することを含め、上記のEquityの懸念に留意すべきである。 そして、以下のようなことが提案されています。
 
電子伝達系から考える生命の起源
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生命の起源は依然として科学における大きな未解決の問題の 1 つです。 生物を作る合成生物学にとっても、生命の起源、つまり生物がどのように始まったか、についての理解は、さまざまな発想のきっかけになる可能性があります。 生命の起源と初期の進化は、これまで、ボトムアップとトップダウンという2つの異なるパラダイムの下で研究されてきました。 「ボトムアップ」では、初期の地球環境を想定し、今日の生物で見られるのと同じ種類の生体分子や代謝反応を作り出すことができる化学を探す室内実験、試料の研究、観測を通じて研究されてきました。このようなPrebiotic(プレバイオティック)化学と地球初期の地球化学は、生命がどのように「誕生できるのか」を実証することに成功しましたが、生命が実際にどのように誕生したのかについては明らかにできていません。 「トップダウン」では、現在や過去の生命体のデータに基づいて初期の生命体がどのような姿をしていたかを再構築していきます。このような進化生物学の技術を使用することで、現在も生物に保存されている「遺伝子」があったところまでは研究ができますが、生命の起源のさなかや直後に起こったステップを調査することはできません。 ボトムアップとトップダウンの2つの研究アプローチは、生命の起源を発見するという共通の目標があるものの、それぞれ限界があるために、生命の起源の謎に迫れずにいます。 オハイオ州のオーバリン大学とカリフォルニア工科大学NASAジェット推進研究所 (JPL) の研究者らが、8月14日、Proc Natl Acad Sci U S A.誌に発表した新しい論文は、電子伝達系が、初期進化の歴史とそれに先立つ原細胞段階との間の架け橋となりうるとして、この方法論的なギャップを埋めようとしています[1]。 Electron transport chains as a window into the earliest stages of evolution https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2210924120 電子伝達系は、細菌からヒトに至るまで、生物によって利用可能な化学エネルギーを作るために使われているシステムのひとつです。
 
何もわかってない遺伝子のデータベース
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ヒトゲノムには約2万個のタンパク質がコードされていますが、その多くは何をやっているのか不明です。細菌にも機能不明のタンパク質は数多くあります。合成生物学の展開には、ビルディングブロックであるこのようなタンパク質の理解も大切です。 ところが、現在の研究費の分配と論文の査読システムでは未知のものについてはリスクがあるとして敬遠されてしまいます。機能的あるいは臨床的に重要であるというエビデンスのあるタンパク質の研究だけを大きく支援しがちです。 また、よく知られているタンパク質ほど、抗体、低分子阻害剤、細胞株、モデル生物などの状況が充実していることもあり実験しやすいです。こういうツールを作るといった地味なところから研究を始めないといけない無名のタンパク質の研究は多くの研究者に好まれません。また、タンパク質の役割が、実験室という環境では観察できない可能性もあります。 その結果、科学研究は、よく研究されているタンパク質の話ばかりになってしまいます。しかし、研究されていないタンパク質を無視することに問題があることは明らかです。 このような問題について、いくつかの取り組みがあります。例えば、米国NIH のIllumination the Druggable Genomeイニシアチブ、Pharos、Harmonizome、neXtProt などのデータベースです。 https://www.nextprot.org/ そんななか、英国MRCのグループが、ほとんど知られていないタンパク質についてのデータベースunknome(アンノーム)を作製し、8月8日付けのPLoS Biologyで発表しています[1]。
 
ヒアルロン酸を作るデザイナー酵素
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糖鎖は、核酸、タンパク質、脂質と並ぶ4大生体高分子の一つで、「第3の生命鎖」と呼ばれます。 糖鎖も、核酸やタンパク質と同じように、構成するユニットがつながってできているという点では共通しています。一方で、通常の核酸やタンパク質と違うのは、鋳型なしで合成されるという点です。また、その構造は、ユニット(単糖)と結合の組み合わせが多くあることから、非常に複雑です。 糖鎖といっても、細菌、植物、動物にもありますし、多くの糖タンパク質に付加されているNリンクの糖鎖のようなものから、グリコーゲン、アガロース、セルロースのようなものもあります。有用な機能を持つものもあり、そのような糖鎖を合成生物学的に作ることは基礎的にも産業的にもさまざまな可能性があると考えられます。 ヒトを含めて動物の生体内に広く分布しているヒアルロン酸(hyaluronic acid、ヒアルロナン)は、グリコサミノグリカン(ムコ多糖)の一種です。ヒアルロン酸の分子量は多いと200万に達すると言われ、皮膚、軟骨、眼球、神経系などで、組織構築だけでなく細胞生物学的にも重要な役割をしています。その構造は、N-アセチルグルコサミンとD-グルクロン酸の2つの糖のユニット[GlcNAcβ1-4GlcAβ1-3]が直鎖状に繰り返され、分岐や他の修飾もない単純なものです。 ヒアルロン酸は、糖鎖のなかでも広く利用されていて、実用性のあるものになっています。変形性関節症、目の治療、美容を目的とした注射の一部については、米国のFDAなどによる医療承認があります。また、保湿成分として化粧品に添加されています。一方で経口摂取としての利用は否定的な意見が多いです。ヒアルロン酸の世界市場規模は2020年で96億ドル,2027年には165億ドルに拡大すると予測されています。 さて、ヒアルロン酸は、ニワトリのトサカなどの動物組織から抽出して生産されています。動物組織からは性能の良い高分子量のヒアルロン酸が得やすく、方法が改良されつつも重要な供給源になっています。 また、ヒアルロン酸を作る微生物も存在し、連鎖球菌のStreptococcus zooepidemicusなどの病原性細菌の変異株などを用いるヒアルロン酸の発酵生産も可能ですが、こちらは分子量が小さく、良質のヒアルロン酸を得ることができません。
 
ダイナミックレンジの広いプロテイン・バイオセンサー
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日常の生活に関係ある内容ではなく、合成生物学に関わる生体分子についての研究をどのように紹介するのか、というのは難しいです。 合成生物学で出てくる生体分子の働きは、機械とか電子回路みたいなものとして理解すると、直観的にわかると思います。そして、どんなことに利用できるのか、想像してみると楽しいかもしれません。 タンパク質バイオセンサーは、細胞生物学や神経科学といった基礎科学領域でますます重要なツールになりつつあり、臨床応用やさまざまな産業のあり方のゲームチェンジャーとなる可能性を秘めています。 Design principles of protein switches https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0959440X21001263 The present and the future of protein biosensor engineering https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0959440X22001038 今回紹介するのは、7月27日付けのNature Nanotechnology誌に掲載されたオーストラリアのクイーンズランド工科大学(Queensland University of Technology)のグループが開発した広いダイナミックレンジを持ち、速く応答する人工的なアロステリックタンパク質スイッチです[1]。 ダイナミックレンジとは、ある信号の最大値と最小値の差です。音声では、音量の最大値と最小値の差です。画像では、明るさの最大値と最小値の差です。ダイナミックレンジが広いほど、より多くの音量や明るさを表現することができます。そして、生化学でタンパク質の性質を学べば必須の単語を確認します。 人工的なアロステリックタンパク質スイッチを作製し、生物学的あるいは非生物学的なシステムに接続された情報処理ネットワークに組み入れることは、合成生物学およびバイオナノテクノロジーの重要な目標です。しかしながら、狙っているような入力、出力、性能パラメーターを持つタンパク質スイッチを設計することは難しいとされています。 今回、クイーンズランド工科大学のグループは、大きなダイナミックレンジと速い応答速度を持つタンパク質スイッチを作り出しました。このスイッチでは、合成したアロステリック部位がお互いに影響し合うことで、バックグラウンドのノイズを最小限に抑えたOFF状態が得られるとしています。
 
直流電流で遺伝子スイッチ・オン
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何らかのシグナルをきっかけに遺伝子の働きをオンにして、その遺伝子にコードされたタンパク質を作る。こういう制御スイッチは生命現象のあらゆる場面に見られます。そして、これを応用して、自由自在に遺伝子を制御できるような誘導スイッチを作ることは、合成生物学では長年行われてきました。 高校の生物学でも習うラクトースオペロンは、ラクトースを感知すると遺伝子の活動(転写)がオンになるものです。このプロモータの下流に外来遺伝子をつなげば、その外来遺伝子の発現をラクトースをトリガーとして制御できるようになります。 こういうトリガーですが、工学的に利用する場合、生体内にどこでもあるような物質ですと、バックグラウンド、ノイズ、副反応があってうまくいきません。そのため、しばしば利用されるのは、限られた細胞で使われるホルモン、他の生物が作る抗生物質などの低分子化合物をトリガーにすることです。低分子化合物の結合タンパク質をDNA組換え酵素や転写因子などと組み合わせて、特異的に遺伝子の転写制御ができる誘導スイッチを組み立てることができます。しかし、ウェアラブルのような形でこういう方法を利用するのは不便な点が多いと思われます。 一方、このような低分子化合物ではなく、光、磁場、電波、熱など物理的なトリガーを用いるような誘導スイッチも開発されてきています。熱では、いわゆるヒートショックを利用することが可能ですが、細胞にダメージを起こしたり、場所が広がってしまうのが難点です。近年、光遺伝学というような光で操作するような手法が数多く開発されてきています。しかし、光は生体組織の深いところに届けるのが難しく、あまりに強い光は細胞に悪影響を与えます。 そこで考えられるのが、電気で操作可能な遺伝子発現スイッチです。細菌や哺乳類細胞にでの先駆的な試みは細胞培養で行われてきました。 しかし、電気感受性化合物の細胞毒性、高電圧の交流電流を必要とするなどの深刻な課題も残され、臨床の場でも使えるようなバッテリー駆動のウェアラブルへの応用にはまだまだでした。 今回、スイス・バーゼル大学のMartin Fusseneggerのグループは、7月31日付けのNature Metabolism誌で、ヒト細胞の感知システムを組み込んで、バッテリーからの直流電流を使い目的の遺伝子を活性化するインターフェースを開発し、これを直流電流作動性制御技術(direct current-actuated regulation technology:DART)と名付けて発表しました[1]。 このDARTの原理は以下のようなものです。
 
合成生物学版ベル研をめざすアシモフ研究所の動向
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ボストンにあるアシモフ(Asimov、あるいはアジモフ)は、2017年、Chris Voigt 、Doug Densmore 、Alec Nielsen、Raja Srinivasが、ベンチャーキャピタルAndreessen Horowitz(a16z) とDARPA(国防高等研究計画局)からの支援を受け設立した企業です。2016年4月にScience誌で公表されたCelloで用いられたアイデアをもとに、最先端の合成生物学と計算ツールを統合することを目指してきました。 この8月2日に、MIT-Broad Foundryチームが、Asimov に加わったことを公表しています。「ファウンドリFoundry」という名前は廃止し、 Asimov Labsという名称に切り替えるようです。Asimovの以下のブログによれば、Bell Labs、HP Labs、Xerox PARCといった歴史的に高く評価されている研究開発組織を意識しているということで、「アシモフ研究所」と訳してみたいと思います。 MIT-Broadファウンドリは、2012年に設立されました。そして、千を超える異なる分子や材料、さらには回路やセンサーなどの遺伝子デバイスを製造するための経路と生きた細胞を設計してきたということです。 今回、このバイオファウンドリがアシモフ研究所となり、ロボットを使用して何千もの細胞をスクリーニングすることではなく、目標は遺伝子の設計を確立することになると述べています。つまり、細菌、哺乳動物細胞、その他あらゆる生物のシステムを設計する時の実装のリスクをゼロにしたいということです。 以下、上のブログから、この研究所が目指していることの説明として気になる部分を引用します(自動翻訳を用いているので、日本語が変な部分がありますがご容赦ください。ブログ原文を読むことを推奨します)。
 
ヒトHeLa細胞をめぐる和解なる
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ヒト由来の最初の細胞株として知られるHeLa細胞(ヒーラさいぼう)は、がん、ウイルス、タンパク質、遺伝子、薬剤、放射線などの研究に利用されてきました。この細胞の経緯については、Rebecca Skloot氏執筆による「不死細胞ヒーラ ヘンリエッタ・ラックスの永遠なる人生(2011年、講談社)」という本に詳しいです。 Stat Newsは、次の5つをHeLa細胞の医学上の重要な貢献としています。どれも合成生物学と関わりの深い貢献で、他にも数多くの重要な貢献があると思います。 ①少女たちを癌から守るワクチン(子宮頸がんワクチン) ②細胞が若さを保つ方法を示す(テロメラーゼ) ③ポリオ撲滅  ④ヒトゲノムのマッピング ⑤ウイルス学分野の創設 さて、一般に、増え続ける不死化した細胞株をヒトから樹立することは、マウスからに比べて難しいとされています。HeLa細胞は、1951年に子宮頸癌で亡くなったアフリカ系アメリカ人女性ヘンリエッタ・ラックス(Henrietta Lacks, 1920-1951)の腫瘍病変から分離され、株化されたものです。細胞の採取はボルチモアのJohns Hopkins病院で本人に無断で行われ、没後にHenrietta Lacksから命名されました。 https://ja.wikipedia.org/wiki/HeLa%E7%B4%B0%E8%83%9E 世界で初めて樹立されたこのヒトの細胞株は、まもなく医学に大きく貢献することになりました。この細胞株を樹立したGeyらは、HeLa細胞でポリオウイルスを増殖させることに成功しました。そして、この細胞株は世界中に配布され、広く用いられることになったのです。とても良く増殖するので、他の細胞を培養している時に紛れ込むという形で、別の細胞を培養しているはずが、実はHeLa細胞だったというような例もあるようで、混入するので注意しないといけない細胞株でもあります。 一方、患者のHenrietta Lacksは、同年、死亡しました。しかし、夫のDavid Lacksや子どもたちは、Henrietta由来の細胞が研究に利用されていることも長年知ることがありませんでした。 こうして、医学や生物学の発展に貢献したHeLa細胞ですが、大きく2つの問題があります。1点目の問題は、患者本人にも、家族にも何の連絡もないまま、このように配布され研究に利用されてきたことです。また、細胞には遺伝子DNAがあり、個人情報が含まれています。その情報がインフォームドコンセントなしに、世界中で利用されることになってしまったのです。しかし、当時、インフォームドコンセントという概念はなく、その後に問題になったわけです。 2点目は、患者から採取された試料が、経済的価値を持つようになったということがあります。この細胞を用いて、新しい科学的発見や知的財産が生まれたり、製品の生産にこの細胞を利用するというケースがでてきたということです。そして、このような価値について、患者にどのような利益が与えられるか、ということです。しかし、未だに、この点については議論が定まっていません。 こちらに10年前である2013年までの経緯が説明されています。 そんななか、8月1日に、ヘンリエッタ・ラックスの家族(子孫)とHeLa細胞を利用した製品の販売で多大な利益をあげてきたとされるサーモ・フィッシャー・サイエンティフィック(Thermo Fisher Scientific)の間で和解が成立したというニュースがありました。
 
絶滅生体分子から抗菌物質を探す
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De-extinction(絶滅種の復活、絶滅種の再誕、絶滅種の蘇生)とは、遺伝子や生殖の操作技術を用いて、絶滅した種の個体を再び生み出すことです。 マンモスの復活など絶滅した生物を現存する環境に再導入するというアイデアは、一般社会や科学者の想像力をかきたてますが、倫理的・生態学的に重大な問題が残されています。 一方、絶滅分子復活(molecular de-extinction)は、生物の遺伝子によってコードされなくなった核酸、タンパク質、その他の化合物など、「絶滅した生体分子」を復活させることです。これは、絶滅した生物がかつて存在した時に利用されていた分子や仕組みが、現在の地球環境においても利用できるかもというアプローチです。現存の生物の遺伝子にも、そういう名残りのようなものがあるかもしれません。 例えば、気候変動や感染症など、太古に存在していた環境や病原菌などに対して生き延びるために、当時の生物にあった仕組みを、現代に蘇らせて活用できる可能性があります。過去に絶滅した個体を復活させるのではなく、分子や仕組みだけを利用することなら、倫理的・生態学的な議論も少ないものと思われます。 さて、多くの生物では、抗菌ペプチド(AMPs、antimicrobial peptides)と呼ばれる短いタンパク質が見られます(通常10〜60アミノ酸、両生類の皮膚分泌物、ヘビ毒、昆虫毒、腸内細菌など)。これらの抗菌ペプチドは、すでに臨床利用されています。 そんななか、ペンシルバニア大学のグループが、現代人(Homo sapiens)と、絶滅したネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)とデニソワ人(Denisovan)のタンパク質に関するデータに機械学習を適用することで、病気を引き起こす細菌を殺すことができる抗菌ペプチドを特定することができたと、7月28日付けのCell Host & Microbe誌で報告しています[1]。 https://doi.org/10.1016/j.chom.2023.07.001
 

バックナンバー2023年7月

 
合成生物学と人工知能の連携は、これからの大きなトレンドであることは確かです。本トピック「合成生物学は新たな産業革命の鍵となるか?」でも、そういう例をいくつか紹介してきています。 2022年秋に設立されたIntegrated Biosciences社は、合成生物学と人工知能の連携を狙うバイオテクノロジー企業で、次世代治療薬のための細胞ストレス応答を対象にしています。サンフランシスコ・ベイエリアに拠点があります。 その創業者は、Felix WongとMaxwell Wilsonです。 Felix Wongは、2023年度のForbes 30 under 30のHealthcare部門にも選ばれています。 このIntegrated Biosciences社の研究は、合成生物学と人工知能の連携で抗老化作用のある全く新しい化学構造を持つ新規物質を見つけることです。 Integrated Biosciences社は、最近、2つの興味深い論文を発表しています。この2つの論文を見ることで、この会社が行おうとしている合成生物学と人工知能の利用とは何かということが理解できます。 Wong, F. et al. (2023) Discovering small-molecule senolytics with deep neural networks. Nat Aging 3, 734–750 https://doi.org/10.1038/s43587-023-00415-z Batjargal, T. et al. (2023) Optogenetic control of the integrated stress response reveals proportional encoding and the stress memory landscape, Cell Systems https://doi.org/10.1016/j.cels.2023.06.001 https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2022.05.24.493309v1 マウスでは、老化細胞(分裂しない細胞)を選択的に除去(senolysis)することで健康寿命を延ばしたり、化学療法の効果を高めることができることが知られています。「老化細胞を溶かす薬」は老化細胞を選択的に除去できるので有用であるはずです。 老化細胞を標的としたこのような方法は、Senolyticsと言われています。しかし、その臨床応用は、生物学的な知見が乏しく、副作用もあることから、臨床応用には限界がありました。
 
【日曜コラム】徳川家康と合成生物学
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ペニシリンというと、1928年、アレクサンダー・フレミング(英)が、アオカビの近くでブドウ球菌が増殖しないことを偶然発見し、その後、開発された抗生物質です。第二次世界大戦でも利用され、その後の医療のあり方を大きく変化させました。 16世紀、徳川家康が豊臣秀吉と戦った小牧・長久手の合戦のころ、家康が背中の腫れ物に苦しんでいたことが記録されています。この時、徳川家康がアオカビに助けられたという説があります。 奇跡の特効薬「ペニシリン」 誕生を生んだ史上最大のセレンディピティ(佐藤健太郎) | 現代新書 | 講談社  以下、上の佐藤健太郎氏の文章の引用です。 家康は、小牧・長久手の合戦の最中、おそらくは傷口から黄色ブドウ球菌のような菌が入り、背中に大きな腫れ物ができてしまった。日に日に悪化していく容態を見て、家臣の一人が笠森稲荷に向かい、「腫れ物に効く」といわれる土団子を持ち帰った。アオカビの生えたその団子を腫れ物に塗りつけたところ、おびただしい膿が吹き出て腫れ物は治癒したという。これは、アオカビに含まれたペニシリンのおかげであった、というものだ。 これは理屈として全くありえない話ではないが、さすがに土団子に多少生えた程度のアオカビが、家康の体内に巣食った細菌を全滅させるほどのペニシリンを作っていたとは考えにくい。家康のペニシリン伝説は、「話としては面白い」という程度にとどまるだろう。
 
気候変動と植物合成生物学
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地球規模で進行しているといわれる気候変動は、栽培できる植物の種類や栽培の方法、栽培の場所にさまざまな影響を及ぼしつつあります。どうしたらよいのでしょうか? 7月19日付けのPLOS Biology誌(無料で全文読めるオープンアクセス雑誌)では、「Engineering plants for a changing climate(変動する気候に対応する植物のエンジニアリング )」と題して、1つの紹介文と7つの論考を集めた特集を組んでいます。 https://collections.plos.org/collection/engineering-plants-for-a-changing-climate/ 気候変動で、食料、薬、道具、シェルター、燃料、衣服として利用する植物と人間との関係も変化しなければならない。何を、どのように、どこで植物を栽培するかは、栽培植物を待ち受ける潜在的な生物的、非生物的なストレスと同じように変わるだろう。この論文集では、育種技術、ゲノム工学、合成生物学、マイクロバイオーム工学など、気候変動に植物を適応させるための工学的戦略について、気候変動に強い品種の作出や、農地の炭素捕捉ポテンシャルの向上に焦点を当てながら探求している。 この特集のイントロダクションでは、この特集で答えようとしている2つの問いかけをしています。 ①作物がこの急速な気候変動に適応できるようにするにはどうすればよいでしょうか? 気候の変化に耐性のある品種の作出、農地の炭素回収能力の向上の2つがあるといいます。 ②気候変動を改善するために作物をどのように利用できるのでしょうか? 以下、7つの論考のサマリーの部分だけを日本語訳してみます。 官民パートナーシップは、知識を製品にうまく変換するための鍵であるが、現在の枠組みでは、21世紀の農業生産の課題に対応するために作物を改良するのに必要なシステム全体のアプローチを促進することができない。 作物研究における発見を促進するために、官と民パートナーシップのさらなる改善を求めています。
 
微生物によるPFAS対策
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PFAS(ピーファス、per- and poly-fluoroalkyl substances)は、「Forever chemicals(永久に残る化学物質)」と呼ばれ、非常に安定で分解されることがなく、環境のいたるところに存在しています。特に、工場や軍事基地周辺の地下水の汚染が問題になっています。健康被害の可能性も指摘されているPFAS問題は、海外、そして最近になって日本国内でも大きく報道されるようになっています。 PFASとして知られる数千種類の化学物質は、1930年代に3Mとデュポン社の化学者たちによって作られました。熱や薬剤にも安定で、水や油を強力にはじく性質のある化学物質を作ったのです。 第二次世界大戦後になると、人類初のPFASであるPFOA(perfluorooctanoic acid、ペルフルオロオクタン酸)が、デュポンによって商品化された「テフロン」を製造する過程で使用されるようになりました。そして、3Mは、PFOS(perfluorooctanesulfonic acid,ペルフルオロオクタンスルホン酸)関連製品として防水スプレー 「スコッチガード 」を製造していました(現在、同名の製品には、PFOSは不使用)。こうして、調理器具、毛布、クリーニング製品、パーソナルケア製品、消火器の泡消火薬剤など、さまざまな製品に使用されるようになったのです。 一方で、研究によってPFASが健康に影響を与える可能性が指摘されるようになってきました。ある種のがんの発生に加え、免疫機能、発育、生殖、肝臓、腎臓の障害、脂質異常などを引き起こす可能性があるそうですが、まだ不明な点も多いです。 2019年には、「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約(POPs条約)]で、PFOAやPFOSが、製造、使用が禁止される物質になり、日本国内でも規制されています。 さて、安定なことから、規制されても環境中に残留し続けるPFASの対策についても、合成生物学的なアプローチが有効である可能性があります。 最近、カリフォルニア大学リバーサイド校の研究者らが、PFASを分解する、土壌中に存在する2種類の細菌を特定し、Natural Water誌に報告しています[1]。この発見は、これらの汚染物質を低コストで生物学的に浄化できるという可能性を示すものとして注目されています。
 
ヒトの体を作るための地図
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ヒトの「Googleマップ™ 」を作るプロジェクトが進行中です。 昔のお城を復元しようとしたら、全体の設計図だけでなく、それぞれの部分でどんな建築素材が使われていて、どのような形に加工され、どのように組み合わさっているか、まで理解しないと、お城を建築することができません。テトロドトキシン(フグ毒)のような複雑な有機化合物を作ろうとしたら、その構造を知ることが最初です。 このように作る(合成する)ということは、作ろうとするものの形や素材や、その組み合わせまで理解しておかないと、作ることができません。そもそも同じものができたか、確認することができません。 ですから、合成生物学では、作ろうとするものの形や素材を正しく知るということが、前提となるステップであることがわかると思います。 地球上の生物の構造でも、最も複雑で、未だにその成り立ちの全容が理解されていないのが、ヒトの脳であることは、多くの方が賛同すると思います。 成り立ちがわからなければ、どのように動いているのかわかりません。もとに戻すためにも、その情報が不足しているのです。 このようなヒトの成り立ちを細胞レベルで理解しようとするビッグプロジェクトが世界で進行中です。やろうとしているのは、37兆個の細胞からできているといわれるヒトの体がどんな種類の細胞からできているのか、そのアトラスを作るということです。 Chan-Zuckerberg財団や英国Wellcome Trust財団などの支援を受けているヒューマン・セル・アトラスプロジェクト(Human Cell Atlas)や、それとはファンディングや主導組織が異なる類似プロジェクトです。 米国NIHの支援を受けてきたHuBMAPプロジェクトも、ヒトの器官や組織を作る細胞の分子(mRNA、タンパク質、代謝産物等)を1細胞の解像度で示す空間的なレファレンスマップ(基準となる地図)を作製してきています。つまり、細胞一個一個の持っているmRNA、タンパク質などの情報を集めることで、体での細胞の位置を考慮しながら、細胞のアトラスを作ろうということです。 こういうプロジェクトが始まったのは、シングルセルRNAシーケンシング(single-cell RNA-seq)と呼ばれる技術により、細胞ごとのmRNAの種類と量によって、細胞の性質を区別するということがこの10年ほどの間にできるようになったことが背景にあります。また、この結果を細胞の場所と一致させるという空間生物学(Spatial Biology)の技術が発展したことも重要です。 7月19日付のNature誌には、ヒトの腸、腎臓、母体–胎児界面を作る細胞の配置や細胞間相互作用などを示す3つの論文が発表されています。Nature Cell Biology, Nature Communications, Nature Methods, Communications Biologyなどでも、関係した多数の論文が発表されています。 関連する論文はこちらにまとまっています。
 
合成生物学のデュアルユース
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合成生物学やバイオテクノロジーは、米国の大統領、議会、情報機関も含めて最新の国家安全保障上の課題となってきています。 このNewsPicksトピック「合成生物学は新たな産業革命の鍵となるか?」でも、合成生物学の危険性についての問題は、健全な産業発展にとって大切と考え、積極的に解説しています。新型DNA合成装置と生成系AIによる生物兵器の開発についての懸念も記事にしました。 2022年9月12日 に、バイデン大統領の大統領令「持続可能で安全・安心な米国バイオエコノミーのためのバイオテクノロジーとバイオマニュファクチャリング・イノベーションの推進に関する大統領令」では、バイオテクノロジーと合成生物学の推進を米国の重要な政策に位置づけようとしています(こちらに筆者が訳出したものがあります。https://note.com/yamagatm3/n/n79b407a130a7 )。 今回は、あまり知られていない合成生物学の危険性(デュアルユース)について紹介してみたいと思います。 ☠️特定グループを狙った生物兵器? 2023年春には、中国の遺伝子配列解析会社BGIグループのいくつかの部門を、技術移転を制限する企業リストに加えています。この規制の名目は少数民族の問題のようです。 https://en.genomics.cn/ ヒトゲノムDNA配列を利用しての生物兵器の開発は現時点ではそれほど大きな問題にはなっていないように思われます。しかし、特定のグループのゲノムの特徴を利用した生物兵器を開発したりすることは可能になるかもしれません。この点については、最近の米国科学アカデミーの報告書でも指摘されています。 例えば、〇〇人に選択的に感染して致命的な影響を与える細菌やウイルスなどの生物兵器が使用されたら怖いです。
 
既存企業が合成生物学に関わる戦略を考える
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次の産業革命の中核となるとも言われている合成生物学。最近は、日本でも合成生物学に関心のある企業や投資家が増加しています。また、既存の企業が、新興の合成生物学関連企業と様々な関わりを持つことも積極的になっています。 7月18日も住友化学と合成生物学の代表的な企業の一つGinkgo Bioworksの提携が報道されていました。 今回は、この2023年春、ボストン・コンサルティング グループ(BCG)が出した2つの記事を読んで、このような既存企業がどのように合成生物学と関わるかという企業戦略を考えてみたいと思います。 ①では、現在の合成生物学の産業構造や企業の形態を理解し、②で合成生物学と関わる戦略を考えるという形になると思います。 ① 貴社の合成生物学の戦略は何か? [BCGの内部記事] What’s Your Synthetic Biology Strategy? (François Candelon, Nicolas Goeldel, Antoine Gourévitch, Max Männig, and Vinit Patel) ② 合成生物学は、世界の巨大産業のいくつかを破壊する可能性がある。合成生物学の戦略を構築するための4つのステップはこれだ。[フォーチュン誌の記事] Synthetic biology could disrupt some of the world’s biggest industries. Here are four steps to building a ‘syn-bio’ strategy (François Candelon, Nicolas Goeldel, Max Männig) https://fortune.com/2023/03/03/synthetic-biology-strategy-loreal-unilever-sanofi-basf/
 
画像をDNAに保存する生きたデジカメ
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世界で増加し続けるデジタルデータとデータストレージの需要。高密度かつ長期間のデータ保存の方法が求められています。 ハードディスク・ドライブ(HDD)やSSDといったストレージとは違ったストレージ技術として、DNAストレージがあります。 DNA ストレージは、合成生物学と情報技術という異なる技術分野が一緒になった技術です。2012 年に、George Churchらにより、その概念が提唱されたものです。 A, T, G, Cという4つの塩基が直線に並んだDNAは、これまでの電子記録媒体と較べて高密度にデータを記録できる可能性があります。理論上は、DNA 1グラムあたり最大 680 ペタバイト(6 億 8 千万ギガバイト)、1cm^3あたり最大で数エクサバイト(数十億ギガバイト)のデータが記録できるとされています。 DNA は、適切な条件のもとでは、半永久的に情報を劣化させることなく、保存できます。また、最近のDNA配列決定法の進歩で、情報を読み出すこともますます容易になってきています。 そのようなDNAストレージに関する研究動向については、こちらに解説があります。 情報爆発時代の切り札へ:DNA ストレージに関する研究動向とセキュリティ分析 (井上紫織 金融研究/2021.4) 現在のところ、最も有望なのは、DNAの配列(A, T, G, Cとその並び方)そのものを情報とする方法です。 そんななか、この7月3日、これまでの方法とは全く違うやり方で画像という情報をDNAに保存するアイデアをシンガポール国立大学のChueh Loo Pohの研究グループが報告しました。「BacCam」と名付けています [1]。 上のGigazineの記事では詳しく解説されていませんが、この技術のポイントは、大腸菌に光を照射した時、光を照射されたという結果を大腸菌のDNA内に記録する方法を利用したところです。
 
世界経済フォーラム2023年新興技術トップ10にみる合成生物学
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「ダボス会議」でも知られる世界経済フォーラム(World Economic Forum)とFrontiers社は6月27日付けで、"Top 10 Emerging Technologies of 2023"を公表しました。 この報告書は、今後3~5年の間に社会に好影響を与えると考えられる新興技術(Emerging Technologies)をまとめたものです。新規性(Novelty)、応用性(Applicability )・奥行き(Depth)・推進力(Power)、更に人(people)、地球(Planet)、繁栄(Prosperity)、産業(Industry)、公正(Equity)の基準に基づき、100近い候補の中から専門家が選んだものです。 2023年新興技術トップ10として、選ばれたのは以下です。 フレキシブルバッテリー 生成系AI 持続可能な航空燃料 デザイナーファージ メンタルヘルスのためのメタバース ウェアラブル植物センサー 空間オミクス フレキシブル神経エレクトロニクス 持続可能なコンピューティング AIが促進するヘルスケア これらのうち、特に合成生物学と関係あるのが、持続可能な航空燃料、デザイナーファージ、空間オミクス、フレキシブル神経エレクトロニクスです。ウェアラブル植物センサー、AIが促進するヘルスケアについても、関係しているかもしれません。 今回は、特に合成生物学と関係ある項目について解説します。
 
地球と人新世を超える合成生物学
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よく問われることに、バイオテクノロジーと合成生物学の違いということがあります。 生成AIに聞いてみました。 バイオテクノロジーと合成生物学は、どちらも生物学的プロセスを利用する技術ですが、その目的と方法にはいくつかの違いがあります。 バイオテクノロジーは、自然界に存在する生物学的プロセスを模倣したり、改良したりする技術であるのに対し、合成生物学は、生物学的プロセスを最初から設計して構築する技術です。 このトピック「合成生物学は新たな産業革命の鍵となるか?」では、導入記事として、「合成生物学によるグローカル課題解決とウェルビーイング実現」を3回に分割して出しました。今回はこれらで扱えなかったことの追加です。まず、3回分の記事を振り返ります。 1️⃣はじめに 📌合成生物学の現在と未来 📍このトピックで扱うこと 2️⃣可能になること 🍅農業:食品生産の革命 💊医療・健康:新しい医薬品やツールの開発 🌲環境:汚染浄化と環境制御 🏭モノづくり:持続可能エネルギーと天然物質の工業的生産 3️⃣可能にする技 ⛓遺伝子工学とゲノム編集 📀インフォマティクス、ビッグデータ、人工知能 💻システム生物学と代謝工学 🖥計算機モデリング 🦖プロンプト:竜を作れ 🔖コラム🔖  合成生物学のDBTLサイクルとBioBrick 📌2024年の合成生物学 合成生物学産業の総合情報を扱っているwww.synbiobeta.comでは、2024年5月に開催される合成生物学についての会議のテーマとして、こんな14項目を列挙しています。
 
培養鶏肉とはどんなものなのだろうか?
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「合成生物学によるグローカル課題解決とウェルビーイング実現(2)可能になること」にもあるように、2040年までには、肉の60%が培養細胞から作られ、世界中の食料品店やレストランで販売されるとの予測があります。 そんななか、2023年6月中旬に、米国の農務省が「培養鶏肉」の販売を承認したという報道がありました。 米国の農務省の発表 https://www.fsis.usda.gov/policy/fsis-directives/7800.1 培養鶏肉、つまりニワトリの細胞を培養して作った肉ということですが、今回はこれを中心に培養肉について科学的に考えてみたいと思います[1]。 [注:生物としてはニワトリですが、本記事では食用、畜産用のニワトリを鶏と呼んでいます。] まず筆者について自己紹介しておきます。長年、ニワトリの胚(卵の中で体ができる段階)、特に神経系の研究をしてきました。というわけで、実験動物としてニワトリを利用してきています。そのため、現在はニワトリの細胞アトラスを作るようなプロジェクトを世界で提唱しています。卵の中のニワトリ胚の取り扱いにも詳しいです。 🐔培養鶏肉とは? さて、販売するのは、米農務省から承認を得た2つのカリフォルニア州の企業、Upside FoodsとEat Justです。Eat Justは、GOOD meatというブランドで、2020年に培養肉を承認していたシンガポールを含めて展開しています。
 

by 山形方人(Masahito Yamagata)